新大陸アフリカ上陸

サンパウロ 世紀末の街ヨハネスブルグ を経由してケープタウンへ 
時間的には24時間越え かなりの疲労ではあったが 無事に大陸移動をこなした 

世紀末の街ヨハネスブルグ空港内ではかなり迷ったが 徒歩を選択 と言うのもこの街は
犯罪遭遇率200%(1人が2回遭遇するから)という場所がある程危険な街である
空港内とは言えども 油断はできない しかも 国際空港から国内空港までに300M程
外を歩かなくてはならない 白人旅行者に紛れて必死に歩く 周りを警戒しつつ
白人を抜かしつつ 歩く ここで犯罪に会う訳にはいかない 張り詰めた空気の中
鼓動を感じつつ 何とか国内空港までたどり着けたのだ
ケープタウンに到着した時にはかなり疲労していて 高いタクシーを使って宿に到着
アフリカの最初の印象は ケープタウンの 何だここは アフリカか??? と言う事だった
あまりにも 綺麗で 自分の思っていたイメージのアフリカとあまりにもかけ離れていた
イメージでは 民族が槍を持って大サバンナを走っている... 確実に間違ってた
あまりにも近代的 あまりにも普通でびっくりした しかし やはり治安はあまり良くない事が
宿のドアでわかる 完全に外部をシャットアウトする形になっている 日曜に着いた事もあり
街には怪しい奴らしかいない 麻薬を売ろうと試みるものばかりだった 
とりあえず無事に大陸を越えられた それが一番うれしかった 次の日から早速行動開始 
ケープタウンと言えば テーブルマウンテン 喜望峰 取りあえず テーブルマウンテン 
ロープウェーはあるものの歩いて登る事にする 治安の良い事を祈りつつ1人で宿から向う
周りの人が皆悪人に見える 自ずと早足 道は何とかわかる 意外に道は険しい 
登山口まで1時間 そこの看板には 1人では行くなみたいな事が書いてあったが 
ここまで来て引き返すわけには行かず 突入 街中にあるくせに以外に登りがきつい
が普段から重い荷物を担いでいるだけあって 足の筋肉がついたらしい 
登山者をバリバリ抜いていく事ができた 登頂まで1時間ちょい 山頂で少々くつろいだ後 
下山 パワーが有り余っていて 走って下山 宿まで無事に帰れた
トータルで4.5時間 トレーニングにはちょっと物足りなかった が久々に汗をかけて気持ちかった
宿に帰って 次は喜望峰行きを日本人の人たちと考える うーん 
レンタカーだな 4人でシェアーして喜望峰 ボルダーズビーチ(ペンギン大量) 
アグラス岬(実質上のアフリカ最南端) に行く事に 忙しい日々の始まりだ
レンタカーは慣れたもの 何処でどんな車でも運転できるようになっていた 
日本でもこれなら運転できそうだ 道のりは長い 特に アグラス岬までは300KM程ある 
運転手を変わりながら行く まずはボルダーズビーチ 南極に行けなかった悔しさもあり 
ペンギンを撮りまくる 数10CMまで近づいても逃げないペンギン達 人間慣れしてる
トータルで5000匹以上はいただろう かなり満足 で喜望峰 ここからアフリカがスタートする 
もちろん ウシュアイアも北上の起点だったが 

ここがアフリカの起点となった ここで旅を終える人 ここから旅が始まる人

そんな場所だった ただの岬だが 何だか感動 しかしこの後に行く 
アグラス岬のほうがもっと感動した 観光客0 自分達だけの最南端 悪くない
インド洋と大西洋の交わる場所 実質上の旅後半戦スタート 
目指すはヨーロッパ最北端 ノルウェー ノールドカップ岬 残り5ヶ月弱到達できるか??
元々はグリーンランドを目指していたが 確実に時間が足りない事に気づく 

でもやるしかねー
ノールカップ目指して出発 行くぞ!!
 


ナミビア〜リビングストン
南アフリカは物価が高いのですぐに北上し ナミビアに 
しかし ここも南アフリカと物価が変わらず 凹む しかもここは砂漠しか 

目的が無かった が ツアーが高い 1日100US$を越えるツアー 

これはほとんどあり得ない値段 
明らかにツーリストをなめてるので 

ここもシェアーしてレンタカー 3泊4日の旅の始まりだ 
目指すはナミブ砂漠と奇想天外(砂漠に1000年以上生き続ける植物)
距離はそこまででは無いが ダートに苦戦 しかも砂漠にゲートがあり 

門限があり 目指すソッスフレイ という場所まで僅かたどり着けず
まーでも赤い砂漠に登り満足 次へ進む この日は車の中で寝る 
奇想天外の見える場所が不明だったので インフォメーションに聞くと
パーミットを買ってこないと教えられないと言われ 泣く泣く パーミットを買う 
が1人分 4X4でなければ行けない所を無理やりセダン(普通車)で突っ込む 
が行けた 苦労して行くとその分感動も大きい 奇想天外はやはりオーラがでてる 
半端無いでかさ 写真で見るのがわかりやすいだろう 白い砂漠にも登り 無事に終了 
疲労してても 次の日移動 移動中に寝れば回復するさ...バスは快適そのもの 

道も良い
 次は早くも リビングストン(ビクトリアの滝)に到着 



ビクトリアの滝
街から滝は近い 取りあえず滝の前に噂で聞いていた ボツワナにある チョべ国立公園 
に日帰りで行くツアーに参加する事に サファリに行きたかったのと 
世界スタンプラリー(ビザ 査証集め)の為行く 疲れはいつも通り蓄積して離れない
しかし 有限の時間を無駄にするわけにはいかない 
この限られた1年という中でやろうとしている事はあまりにもハードだ
でも自分で立てた計画 妥協するわけにはいかなかった 
この体が動けなくなるまでこの1年は酷使する そう決めたんだ やるしかねー
初サファリ は豪華だった 川の国境(4つの国境がある場所)まで 車で送り迎え 
船で国境を渡り サファリ用のランクルを改造した車に乗り込み 朝食を食いに行き 
その後ゲームサファリ(車で動物を探しながら進む) 

象 カバ キリン インパラ サル などなど
 を見つける で次は 

川から船で動物を見に行く 象の大群をこんなに間近で見て良いのか?
と言う位まで近づき 撮影 一歩間違えれば 確実に象に踏まれる 
でもそのスリルと引き換えに 大きな感動を得た 
まーこれだけのツアー と言えば これだけなのだが これが良かった 

かなり 初サファリ満足で宿に帰り 次の日のビクトリアの滝に備えた 

ビクトリアの滝は ザンビア側 ジンバブエ側があり 
多くの人は ザンビア側だけで良いと言ったが ここまで着たからには
と言う気持ちで ビザ代30US$と入場料20US$を払い 行く 
まー 滝は自分の中では イグアスの滝の方が凄かったが...
これにて 世界3大瀑布制覇 ジンバブエ側の後 すぐさま ザンビアに帰る 
その途中で世界1高い と言われるバンジーを眺め 飛んでる人を撮影 
100US$払って飛ぶ気は起きなかったが... 誰かが出してくれたら 飛んだな...
続いて一気にザンビア側のビクトリアの滝 こちらの方が 迫力があり自分としては好きだ 
虹のかかる滝 悪くない でムクニ村 と言う観光専門の村に行こうと思ったが 
天気がいまいちの為 宿に帰る 次の日ムクニ村へ 観光の村だからか何だかわからないけど 
皆愛想が良い 家も見せてくれた 写真も構わず撮れと言う
観光業 一体何処までが本当の笑顔なのか疑問の残るところである
次の日の朝 ルサカに向け出発 かなり忙しい日々だ...
 
 
タザラ鉄道
ルサカに到着したのは丁度昼 ここルサカに来た目的は1つタザラ鉄道のチケットを買う事
アフリカだけに言える事では無いが 首都の治安は大抵の国が悪い 出稼ぎに着てる人々が
職に就けず そのまま強盗に変わるケースが多いようだ この街の噂も良い噂は無い
バス停からチケット売り場まで 400M程 かなり警戒しながら 全ての機材 財産を
担いで歩く これは少々 恐怖だ でも歩くしかない チケット売り場に着くと
そこには怪しい2人組 1人はマシンガンを持ったアーミー もう1人は 体格の良い若者
やばいな と思いつつも チケット売り場へ入ろうとした時 おっと 閉まってる しかも2時間待ち
仕方なく待つ事に やはり会話が始まる 2人は警官だった しかもかなり良い人 
やはり人は見かけじゃない 様々な話は 公用語の英語 話せてよかった 英語 なんだかんだで
時間がつぶれ 無事にチケットも手に入れた 帰り際何かあったら連絡しろ と警察が携帯番号をくれた
メキシコで学生だった頃作った国際学生証で 半額 かなりお得だ 
情報では 学生じゃなくても 国際学生証が作れる場所が世界各地にあるらしい
長期旅行者は大体が いや ほとんど学生(偽)だ 凄いぞ日本 
すぐさまバス停に帰り 電車の発着場所である カピリ ムポシヘ 到着したのは 既に夜
運良く 週2便のダルエスサラーム(タンザニア)の急行に次の日に乗れる事に ついてるぞ!!
宿は 蚊の巣のような感じで かなり危険(すでにザンビアから マラリア危険地帯) 
狭い部屋だったので 香取線香を4巻き焚き 蚊を寄せ付けなかった おかげで 
蚊には刺されることが無かった が朝起きた時 自分の喉もやられた 
やばいぞ蚊取り線香 蚊も人間もやられる...
次の日夕方 駅に向かい 無事に電車に乗り込む 何と懐かしの中国列車 
何でも 中国が寄贈したらしい 電車は1等 に乗った為 かなり快適 4人コンパートメント 
ザンビア人2人 ポーランド人1人 日本の車はどうだ? とか 輸入したらどうなる? 
とか ザンビア人は車関係の仕事をしてる人で
ビジネスの話ばかりだったが コーラをやたらおごってくれた 
まー2泊3日楽しく過ごせた 国境も無事に通過 ビザ代(タンザニア)が高いが仕方ない(50US$)
アフリカ全土高すぎるぞ ビザ代 ダルエスサラームに時刻通り到着 
ここも良い治安だと聞いた事が無かったので 一気にザンジバルに船で行く事にした
 
 
ザンジバル タンガ
ダルエスサラームより高速船 1時間30分 低速船3時間強 ザンジバル島に到着できる
この日は夕方だった事もあり 高速船しか乗れず 少々高いが仕方ない 

一気に目指す
 港に着くとまずはイミグレーション

(タンザニア国土だが 昔の名残で今もイミグレが残っているらしい)
を済ませ 早速客引きの嵐 襲うように囲まれる そのうちの1人と値段交渉し 

宿を探す この時は
 丁度 ミュージックフェスティバルの時で 安宿はほぼ全滅 

ドライバーは頑張り続けてくれて 何とか
 6軒目位で1日だけ部屋を確保できた 

取りあえず 飯を食いに行く ここストーンタウンはかなり
道が入り組んでいて 方向感覚を麻痺させる 特に夕方 

薄暗くなり始めてから歩き出したので方向感覚が無くなり 飯を食った後 

道に迷う 何とかもらった宿の名刺で帰れたが 
これが無かったらかなり厳しい状況だったのではないだろうか... 
次の日朝一から 宿探し チェックアウトまでに何とかして宿を見つけるしかなかった 
が 裏通りにあった 宿でいきなり 空きを発見 予約して 宿に帰り 
すぐさま移動 意外と 裏通りが穴場だった  この日は ストーンタウンをひたすらに歩き続けた 
宿を変えてから すぐに飛び出し 夕方まで 灼熱地獄だが そんな事は関係なかった 
歩けば そこには何かある その思いを秘めて...
汗は吹き出る 若干脳もふらつく が コーラを注入すると復活する この日はコーラを4L越え
かなり不健康だと思うが 糖分は必要だ この日から コーラ中毒になった 暑い中を歩く時は
コーラを注入する事にした
夕方からは ミュージックフェスティバル 現地音楽を堪能 疲れ切って 宿で寝る 
ストーンタウンは 雰囲気も 人も好きな感じだった スワヒリ文化 ムスリム90%以上
と言う 独特で不思議な空間だった
次の日 夜光船でダルエスサラームを目指した この船が場所取り 
席取り合戦の現場となる事は知らなかった 乗客は自分以外ほぼ全員現地の人 
安い船だけあって 人数も半端じゃない かなり早めに乗り込み
場所を確保したが 後からぞろぞろ乗ってきて 隙あらば 自分のスペースを奪う 
そんなこんなで やっと1人座れる 範囲しか残らなかった が こっからが勝負 
立った瞬間に席を奪い半身横になり寝る帰ってきても 諦めて 違う場所に現地の人は座る 
でさらに隣が立ったら 椅子前面を使って 寝る で結局 席を奪還 晴れて横になって寝る事に... 
朝まだ薄暗い中 ダルエスサラームに到着  ザンジバルで気が抜けていた分 十分注意して 
船を下りる 再びタクシーの客引きに囲まれるが
この時気づいた事 始めに寄ってくる客引きを回避すると ちょっと気の弱めな 客引きがいる
顔を見て悪人顔ではなかったら その客引きに自ら近寄り 交渉 
それが一番安全で 安い この時もそうやって でかいバスターミナルまで無事にたどり着けた 
タクシーもあまり安心できない タクシー強盗と言う 本当に困る犯罪もある 
それを回避するのも自分しかいない じっくり顔を見て決めよう
バスターミナルに着くとタクシーに乗ってるにもかかわらず 客引きが 
当り屋張りに近づいてくる 本当に恐ろしい光景をこのバスターミナルでは見た と言う感じ 
かなり激しい 客引き 皆生きる為 金稼ぎの為に 必死だ
あのバス会社は今日 遅れてる 高い 無い そんな 嘘 
なんて当たり前だ 自分で行って確かめるしかない
まー 一番いいと言われるバス会社(独自のセキュリテーがあり基本的に乗客意外入場不可)
に行って貰い 無事チケット購入 時間も値段も元々聞いた通りだった 
セキュリティーも問題なく凄い 遂に大学時代の友人 神谷健太郎の働く
タンガ行きに無事乗り込む事に 3年4年ぶりの再会に 心を弾ませる 出会いも重要だが 
再会はもっとうれしい しかも年単位で会っていない 友人 うれしい 
タンガに到着したのは 昼過ぎ かなり体力も消耗し 疲れ切っている所に 
友人登場 本当に久しぶり 本当に嬉しかった 飯を食い 世話になる事となる 
神谷は青年海外協力隊として タンザニアのタンガという町のセカンダリィスクール 
で数学教師として2年間働いている もうすぐ任期を経て 日本に帰国する 
その前に友人の働く姿を映像で納めたかった
もちろん タンガには 他の任務で来ている方も居て 皆さんにかなりお世話になった 
職場も撮影させて頂いた 感謝の連続だった タンガでは撮影の日々 隊員の方との会話 
食事 本当に充実した日々だった 同期の友人が 目の前で先生をしている姿を見るのは 
新鮮であり驚き さらに神谷は 英語スワヒリ語共に堪能になっていた
離れた時間ほど 互いの変化が見える 彼には俺はどのように写ったのだろうか? 
また次に再会できる時に聞いてみよう 世界には昔から知る友人が数人 
今もなお 海外で生活 仕事 勉強している そんな彼らを訪ねるのは 自分にとって
かなりの楽しみである 次は 恐らく旅の最終目的地点の トロントだろう 待ってろよ 
無事に到着してやるぜ!!
タンガで少々休息した後 一気にキリマンジェロ山の基点である モシに行く 
遂に始まる 南米エクアドルで果たせなかった
登山 負けるわけには行かない そんな思いを胸に モシに向うのであった



To the summit of Mt Kilimanjaro


ケニア サファリ
モシから国境を越えて 悪名高き ナイロビの街に到着したのは21時過ぎ 
国境で両替も出来ず ケニアのお金0 しかもバスの到着した場所も不明 
ナイロビはかなり危険(ヨハネスに次ぐ) だと聞いていたので かなりびびったが 
たまたまいた バス会社のボスに交渉 宿まで連れて行くって言った
からこのバス会社を選んだのにここは何処だ? 早く連れて行ってくれと 
しかし 暗闇で現地人に囲まれ少々弱気になったが それを見せるわけにはいかない 
強気にプッシュ 遂に ボスは了解し 彼のお金で タクシーを止め 
宿まで到着できる事に しかし 飯も食わず 水も飲まずここまで来てしまった しかも金0
治安の悪い場所 状態としては死にかけ でも運が良かった 宿にも何とか泊まれ 
そこにいた日本人の方に インスタントラーメン トマトをもらい コーラは宿にツケで買えた 
命拾いとはこの事だろう まだ生きてる それを感じれた 
次の日ATMで引き出し そして ツアー(マサイマラ国立公園)の申し込み 
マダガスカル行きのチケットの予約 カイロ行きチケットの予約を済ませ 
キリマンジェロで汚れ切った服の洗濯 と何故かいつも自分だけ忙しい
全てが順調だった ただ1つ マダガスカルの滞在が3週間
(飛行機の問題で仕方ない)になってしまった
先を急ぐ自分にはかなり長期滞在となってしまった... 仕方ない
次の日の朝早速 サファリツアーに行く まずは ナクル湖にフラミンゴを見に行く 
天気はいまいちだが まー仕方ない フラミンゴは今回の旅でかなり見たが 
ここ程一面にピンク色に染まった湖を見た事は無かった
何万 何十万羽 と言うフラミンゴが 海老をひたすらに食べ続けていた 
まさにフラミンゴの楽園と言った感じ 他にも 黒サイ 白サイ ゼブラ インパラ 
などなどを確認した この日は宿で宿泊 全ての日程が
ツアーに込みなので 金額を気にしなくて良い それが楽だ 
次の日は マサイマラ国立公園に向けて移動 その途中 
大地の裂け目と言われる 場所を見たが うーん 何の事やら 
全くわからなかったが まー良しとしよう マサイマラに到着したのは夕方 
既に常設のテントに泊まる すぐさま 荷物を置いて 2時間程のゲームサファリへ 
運良くいきなり 腹がやたらでかい チーターを見る事ができた 
しかし 地上最速のチーターがかなり満腹で動かない
何だか不思議な感じだ しかも車で3メートル位まで行っても 反応無し 
もしライフルでも持っていたら 確実に仕留められる距離だ 国立公園内は 
動物が保護されているので 彼らもそれがわかっていて
それで 逃げないのだろう しかも毎日何百人と言う人間を見ていれば 
危険だと思わないのかもしれない 本能的には野生を失っているが 
僕らにとっては写真を撮る格好の時間である 
他はたいしたものも見れず この日は終了 
次の日朝から夕方まで ゲームサファリ 見える動物は 段々同じになっていく 
やる気の無いライオン ゼブラ インパラ トピ 象 キリン(2種類) ガゼル 
バファロウ ヌーの群れ 鷲などを見る どの動物もかなり側まで 近づける 
写真は良好 しかし 1日中サファリをしているとかなり 疲れるし 飽きてくる...
夕方から一気に台風並みの大雨 動物達にとっては 恵みの雨らしい 
それにしても凄い 洪水のようになっている 場所もあった 良い時間だったので 
キャンプサイトに帰り 休んでいると ドライバーが来て マサイ村に行くと言う
雨もやんだ 早速 カメラを持って観光マサイ村に 入場料を払い中に入る 
観光マサイと呼ばれてるだけあり 待遇は良い ウェルカムダンス 
男性のマサイジャンプ 家の中の見学 お土産村での囲み かなり完成された
観光マサイである しかし どうかなと思ったのが 子供に対して 観光客が来ると 
遊びだし 観光客がいなくなると 休息を始める そこまでして 
観光客を引き寄せようとしているのか....と 少し寂しい思いもした 
無理やり遊ばされてる子供は流石で 本当の笑顔のようにも思えたが 
何を考え 思い 観光客を見ているのだろうか?
果たして 観光業とは何か? を考えるきっかけであった 
次の日は 朝の数時間ゲームサファリ 朝は狩の時間らしく 
良い絵が見えると期待していたが 普段と変わらぬサファリで終わり....
と思いきや 終盤に来て 無線が入った 急遽向う そのはるか先には 
ライオンが9頭ほど点のように見える  しかし 遠すぎて何も見えない 
ライオンが僅かに動いたかな...位だ 望遠レンズでも難しい 
まー仕方ないかな と思っていると ドライバー 道なき道を猛スピードで 
ライオンに向って走らせた ここは 入場禁止区域 しかし 彼はやってくれた
段々ライオンが近くなる 獲物は何かわからないが 真っ赤な状態 
既に 襲われ食べ始められていた  その時に見た赤は忘れられない色だった 
凄い間近で 凄いものを見た が すぐにその場を去った 
それもそうだ 見つかれば ドライバーが罰せられる 
彼のおかげで いいものが見れ 撮れた
朝はバファロウの大群 ライオンの刈りを見て 
まー昨日と変わらぬ動物たちで 終了 帰途に着く
ナイロビに着いたのは 夕方 疲れていたが 
次の日の出発に向け データー処理 DVD焼付け など忙しかったが
無事に終了 
次の日マダガスカルに向った


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