旅の始まり 2005 6.22
全く緊張感の無いままに家を出た 予定なんて 情報なんて無い
あるのは パソコン カメラ ビデオ 僅かな服 僅かな資金のみ
今回はどんな旅になるだろう?それが今の正直な意見だ
成田を出発したのは 6.22 17:55 まーその前に出国審査
その他で時間がかかるので16:30位にはセキュリティーを通過した
でその2人3人後を ボブサップが通過して行った 見るからにでかい
しかしまだ自分の荷物をまとめきれず まー良いか と先を急いだ
そしたら ちょっと先に進んだら 人集りがあって そこにはボブサップがいたわけで
写真を撮って 去ろうとした瞬間 に英語で話しかけ サインを旅日記帳の一番始めのページに
もらったのだった ボブサップのサインから始まる旅日記って一体何なんだ? と思いつつ
いつも通り楽しい旅になるだろうと実感
成田では結局 全部で4回のセキュリティーチェックを受ける 普通は2回なんですけど...
やはり 見た目が怪しいのか?? まー無事に飛行機に乗れた そして運がいい事に
エマージェンシーの前 そこはエコノミーでもかなりのスペースが前にあって スチワーデス
と対面に座る うーん何とも言えない 幸先の良い 展開 がしかし スチワーデスさんは
何故か お年を召した方が多いようで って 全員じゃないの まーそれは良いとして
かなり快適な飛行機の旅が出来た いつもは緊張して寝れないのだが今回はどう言う訳か
やたらと落ち着いていて そして成田での一瞬を除けば かなり平常心だ
何故だ??  まずは サンフランシスコに到着 その後は国内線に乗り換えるわけだが
かなり複雑(もしや俺だけ?)で迷う 違う所に並ぶ 変な所に行く でかなり手間取った
しかも やたらセキュリティーが厳しい(アメリカだからだと思う) 皆靴まで脱がされて
そのせいで かなりの混雑ぶり これには さすがに参ったね 
到着してから 次の飛行機に乗るまで3時間程あったから良いが 結局2時間位かかってしまった
まー そんなこんなで シアトルに到着 シアトルでも 何だかなー ターミナルが色々あって
何処に行って 何をすれば良いかよくわからなくてウロウロしながら何とか 航空券を手に入れ
待ち合いゲートに座ってす バーガーキングでビッグフィッシュと言うのを頼んだがでかすぎて
食いきれない 機内に持ち込む事にしよう 
 
日本とここシアトルの時差はー16時間 何だか既に体が時差ぼけ状態 
早くアンカレッジについてくれー
 
6.23
空港に着いてからがやばかった ホステルまでタクシーで行ったのは良かった 
がホステルは開いているものの 朝九時までスタッフは来ない 
でそれまでリビングでくつろいでいて下さい だそうだ
地球の歩き方は 別名地球の迷い方 と言われているままだ 
ほとんどの場合が 間違ってる 値段は大体値上がりしてるのは知っているが 
営業時間まで違うのはひどすぎる それが 去年の情報ならまだしも 
2002年とか2000年とかその程度の情報なんだ
それで毎年 最新版として出版してるから どうなってるんだ 
と思っても仕方ない まーそれは良いとして ホステルについたのが 
0時位 かなり外は明るい(北緯の為) ダウンタウンまで歩こうと 
30キロの荷物を背負って 夜の明るい町を歩き出したのだった
が やはり 時間が時間だけあって 人通りは無い ただただ車が数台通り過ぎて行くのみ
道も大してわからない 旅初日からいきなり 怖かった 何でホステルで待ってなかった...
と何度後悔した事か タクシーを拾おうと思っても 走ってない 
タクシーがいるのは空港だけだったのだ 怪しそうな人も何人か見かけた 
襲われて1日目に旅が終了するんじゃないか そんな事まで思った
まー 結局大汗をかきながらダウンタウンのYH(ユースホステル)に着いたのが 2時過ぎだった
さすがにもう駄目だろう 良くやった 朝までここで待とうと思った時 YHのドアが開いた
宿泊客だと思ったが スタッフだった 救われた 何とかその日のうちに眠りにつけた
次の朝は早かった あまり時差ぼけで寝れなかった上にYHのスタッフが入って来て何やら
お前はチェックアウトか と叫んでる それは起きるしか無い 違うと言ったが その他の人が
チェックアウトだった為 起きるはめに 仕方ない 朝から町をプラツキ 新しい世界へ歩き出した
意外にもアンカレジはかなりの都会で びっくり 両替やその他 必要な事を済ませ のんびり
とその時に 交差点で結構 大きな事故発生 野次馬沢山 東京では良く見かける風景だから
まだ良かった その日の夕方位だろうか バス乗り場近くで警察が何人もいる 近づいてみると
一人の男が 床に伏せられて 手錠をかけられる所だ 
うーん 映画で見た事がリアルに見ると さすがにビビる 
まーそんなこんなで 時間は過ぎ あまり面白い町でも無いので 次の日に出発を決意
YHのスタッフに聞くと皆言う事が違ったが 一応朝7:15に バスがYHの前に来ると言う事が
一番信用できる情報だった と言う事で 待つ事に わけがわからないので6:30分位から外で待つ
待てど 待てど バスは来ない 7:15分を過ぎてもこない
参ったなー ガセか と10分くらいしたとき バスは現れた バスと言っても 10人乗りくらいの車体に
荷物用の箱を牽引している感じのもの ドライバーは何だか言い訳してるが 結果オーライ 
フェアバンクスへ向かった バス会社が二つあって 1つは国立公園を横に見ながら行く 
もう1つは 全く違う所に行って しかも 時間もかなりかかる 値段も高い 
と言う事が後になってだがわかった 運良く 国立公園経由のバスに乗れた 
マウント マッキンリーを眺めながら フェアバンクスへ 結局夕方に着いてホステルへ
かなりナイスなオーナーがいる がダウンタウン いや 買い物する所まで歩きで最低45分 何も出来ない
バスも1時間に一本 困った オーナーは ソーセージとポテトを食べさせてくれた 
何処の宿でもそうだが 大体皆 すばらしい英語で話してる 話に入るのは 今の所難しい
旅の終わりには きっとその輪の中にいるだろう と願って 寝るのでした
次の日 ダウンタウンに向け バスに乗る フェアバンクスは日本人にとってかなり有名な町だと思っている
と言うのも 冬場(9月?3月)にかけて きれいなオーロラが見える事で知られている
ここには オーロラを研究する大学もあり オーロラ予報もしている イエローナイフでオーロラを待っていた時
毎日この予報を元に 何時間位待つかを決めていた そもそも オーロラとは 太陽の爆発により 発せられる
太陽風(電子)によって起きる物で 2日半かけて地球に届くと 大きな磁石(地球)にその電子が引き寄せられ
大気圏に突入 その時に 空気中の酸素 窒素 などと衝突し 発光する現象なのだ ちょうど バーなどにある
ネオン管と同じと考えれば良い 話はそれたが 太陽の爆発を調べれば オーロラの予報が出来ると言う事だ
どんなに大きな町だろうと期待したが しかし フェアバンクスは予想に反しかなり錆びれた町だった
ここがダウンタウンか? と思ってしまう程 たいした事が無い 夏場だからかもしれないが
さておき 最北端バローに行く為 ダウンタウンに来たのだが どーも 何処に何があるかわからないし
とりあえず宿に向かう 宿に着くといきなり 仕事するか?と言われ 何事? と思ったが時間もあるので
OK ホステルの改装工事中だったのだ そんなこんなで ベンチにペンキを塗ったり 額縁を付けたり
花を飾ったり 1日がかり 宿代と飯代をただにしてくれた その夜 色々考えていたのだが
最北端バロー行きを中止した 理由はいくつもあって 情報を見たら 聞いたら 寒いとか
海しか無い とか そんな事しか書いてない しかも何しに行くんだ? とまで言われて
確かに 400US$以上かけて行く所でも無いな と思ったのだ 飛行機でなければ行けないし...
今回は重きを中米 南米に置いていたので そちらにお金を回す事に決定 パンアメリカハイウェイを
南へひたすらに下る事を決意 次の日のバスでカナダのホワイトホースへ向かうのだった
アラスカのバスは バスと言うより 乗用車に荷物を引っ張る為大きな箱をくっつけて走る感じ
しかも利用者は少なく 値段もやたらと高い でも陸路で行く為にはこれを利用するしか無いのだ
朝9時集合 思ったより早く着いて 本当に来るのかと思っていたら なんと8:30にバスが来た
今まで 海外で時間よりこんなに早く来るバスがあっただろうか? 答えは ノーだ
行き先は合ってる 乗り込み 運転手と会話 どれくらい乗りますか? 5.6人の時もあれば
0人の時もある 今日はどうだろうね... 結局 あと1人来て 全部で運転手含めて3人で出発
その1人が めちゃくちゃテンション高くて 面白かった 始めは ヤバいかな と思ったがいい人で
ハンターキャンプのガイドをしてると言う アラスカで生まれ ハワイで日本人と結婚し 離婚
今はアラスカに住んでいると言う まーそんなんで ほとんど話を聞く側で バスは進んで行った
途中で バスを乗り換える その彼は行き先が違うのでお別れ 
Take it easy man ,always keep your mind positive!
だって 良い言葉だね ありがとう 
今度は ツーリストと共にカナダへ向かう こんなに1日中英語を聞いてると 本当に参る
慣れていない事も合って 最後は聞く気力すらなくなっていた この日のおかげでだいぶ
リスニングが復活したのは言うまでも無いのだが...
遂に国境越え アメリカは出国審査が無いので そのままスルー カナダイミグレーション
一番最初の人は何故か止められ 違う場所へ おー 結構厳しいねここは 俺は平気か?
とビビりながら待つ 遂に自分の番 日本人ですね... マジかよ 日本語だ うーん
こちらは 英語で あちらは日本語で 会話 何でも山口に3年住んでいたと言う
かなり上手な日本語 参りました 難なくハンコを押してくれて 通過 外に出て待ってると
そのお兄さんが走って来て カナダのパッチをくれた ある意味すごい国境越えだ
カナダに入国すると 何だかやたらと落ち着く 一回来た事があるからだろう 何も心配する事は無かった
運転手の英語が最後までわからなかったが 助手席に座らせてくれた 
英語に関して すごくわかる人もいれば 本当に英語話してるのか この人は と言う人もいる 
経験がまだ足りないのだろうか?
懐かしの町ホワイトホースへ 結局着いたのは朝2時 参った 途中で運転手が宿に電話しろと言って
電話番号を調べてくれたのだが 何処も一杯だった 観光シーズンのようだ やばいな 
まー24時間営業の喫茶店が1つあるからそこで良いかな でも結構疲れてるからどっかで寝たい... 
他のツーリストは宿を予約してあったようで 高級な宿に姿を消して行った 
でどうしようも無い俺 と思ったらいきなり 運転手がバスを止めた 友人らしい 
お前そこに金払って泊まれ との事 OK とりあえず 30$だと まーそんなこんなで 
いきなり見ず知らずの家に泊まる事になった
ダウンタウンから歩いて30分以上ある所 まで車で行く おーい待ってくれ 遠いのはやだ
と思ったが 疲れでそんな事を言ってる力は無かった 着いたのは結局3時前 疲労もピーク
軽食を出してくれ ソファーにシーツと毛布 まー良いや と思ったら 吸う?のジェスチャー
俺はタバコだけで良い と良い断るが 部屋はかなり違うにおいが充満して行くのでした
もしかしたら 荷物を盗られるんじゃないか と言う恐怖と 襲われないだろうかと言う恐怖
がかなりあったが 気にしたら寝れない と言う事で 速攻で寝る
朝 誰もいない 仕事に行くと言っていたからまーいいや シャワーを浴びて 荷物を整え
出発 ダウンタウンは遠い だが確実に一歩一歩歩けば必ず着く
のんびり歩きながら 1時間くらいかけホステルへ 今日は昨日電話したから平気だろう
平気だった 2年ぶりの宿 懐かしかった 到着してちょっとしたら雲行きが怪しい
いきなり パチンコ玉程の 雹が10分程降り続いた さすがにビビった 
 
前回来た時は 1日の滞在 今回はトータル3日 しかし アクティビティーなどをしないと
散歩しか出来ない とは言っても 3日ずっと天気が悪かった為 何も出来ない状況であった
そんな中でも 宿であった 日本の方が ユーコンリバークエスと言う 全長740KM
ホワイトホースからドーソンシティーまで下る カヌーレースに出る と言う事で
レセプションに連れてってもらった もちろん 日本人は 我々2人 参加する日本人は
かつて1人いただけで 2人目らしい かなり過酷なレースらしい その後 ホームページを
確認したが 完走できたのかどうか わかていない メールを送ったが まだ返事は来ていない...
まー そんなこんなで あっという間に時間は過ぎ 遂に懐かしいカムループスへと向かう
前回は イエローナイフから エドモントン ホワイトホース カムループスと言う 
6日で90時間バスに乗っていた が今回は ホワイトホースから カムループスまでの40時間 
楽勝だろ と思っていたが 意外に きつく バス旅の始まりを感じた 乗り換え3回 
やっとこさカムループスに到着した時は疲れ切っていた 
ホストファミリーにはメールをしておいたが なかなかメールをチェックしない家なので
もちろん迎えに来ているはずは無く 朝7時から始発のバス朝10時までの3時間を潰す事に
何でもこの日はカナダデー と言ってカナダが国として独立した138回目の誕生日のような日だった為
日曜スケジュールでしかバスが走っていなかったのだ 特にローカルな町ではバスのスケジュールは
シビアだ 1時間に1本なんて当たり前 現地に少し長めに滞在する予定だったら 
バスのスケジュールをマスターするべし
家に着いたのは 11時位 いなかったらどうしよう と思いつつ 懐かしい道を歩く
なんと 家の主が ガーデニングをしているではないか 運がいい たいていは 夫婦で毎日
働いている事は知っていたので 最悪16時位まで待たなければ と思っていたが たまたま
休みだったようで 助かった 家に泊まっても良いですか? と聞いたら もちろんだよ 友人
と言ってくれて すんなりOKしてくれた 懐かしい家に 懐かしい家族 楽しい時間が始まった
久々に来たのに 話したい事は山ほどあるのに 昔のように べらべらしゃべれる英語力は 
この時点で無かった が 最善を尽くし 会話 通じる 聞こえる 

前回にも増して ヒアリング
の能力は 上がっている気がする 
皆仕事だったので 家でのんびりした生活 ここで 発見があったのだが LANケーブルを差し込むだけで
自分のパソコンでインターネットが出来るのだ すごい すごいぞ と言う事で インターネットを
駆使し 情報収集 メール ホームページの更新をしたのであった 
疲れがかなり溜まっていたらしく 毎日10時間は寝ていた うーんこんな日々があってもいいだろう
まー 10日でほぼ知らない土地を5000キロ以上移動すれば それは疲れる 
ホストファザーは 次の日 車で 山火事のあった現場やサンピークス(ゲレンデ)に連れて行ってくれた
丁度2年前 学校を卒業して カムループスを去った後 大火災がカムループス付近から始まった
数ヶ月かけて やっと消火したという 車で2年前に走った時とは明らかに違った
途中からだが 生い茂った 木々が黒くなり そして 一気に視界が開けた そこには燃えた
木々がまだ散乱し 火災の恐怖をまじまじと感じさせる物だった しかも火災の原因が タバコのポイ捨て
だったと言うから 喫煙者の自分にとっては 耳の痛い話だ
まーそんなこんなで ゆったりとした時間は流れ カムループスを去る日 ホストは仕事だったので
バスで長距離バス停(カナダでは バスディーポ と呼ぶ) まで行き バンクーバーに向かうのだった
 
 
バンクーバーまでは通常6時間程で着くはずが この日は 途中でバスの路上検査 などがあり
大幅に遅れ8時間もかかった 2年前に5日かけて自転車で行った時の事を思い出した 良くやったな
もうやらないぞ とつくづく思う 大体の旅をもう一度同じルートで 同じ方法で行きたいか と言われれば
答えは ノー だ 喜怒哀楽が全て詰まった旅は結構きつい 知らないから出来る事も沢山ある
知ると怖くて出来なる事が 沢山ある  成長するって 難しい
話はそれたが バンクーバーには2年前に会った友人(中山泉)がいて 再会の為に行くようなものだった
旅先での出会いが今の自分を形成して来ている事は 言うまでも無く これからも良い出会いを祈る
いきなりの大雨 カムループスはあんなに晴れてたのに... 仕方なくスカイとレインに乗り 彼の働く
オフィスへ 彼は留学生をサポートする会社の社長なのだ オフィスには無数の日本人が話していた
ここは何処だ? と思ったが まーそんな事はどうでも良く 仕事が終わるまで オフィスで待機
仕事後会社の同僚と帰路を共にする ふとした拍子に 同僚の家に行く事になり バンクーバーダウンタウン
36Fへ 見た事も無いバンクーバーの景色だった 金を持っている人が見る景色を少しだけ堪能し
飯をごちそうになり 帰宅 出会いは突然だ
散歩など バンクーバーでのんびりする バンクーバーを発つ前日 イギリス ロンドンでテロが起きた
4カ所で爆発 37人の死者が出た カナダのニュースを見ていたら アルカイダの次の標的はカナダでは?
と疑問視する発言が多かった セキュリティーが甘いなどなど 明日U.S.Aに向かう自分にはあまり
関係が無いが それでも 人がテロで死んで行くのは 気持ちいものでは無い しかも U.S.A
の国境のセキュリティーはさらに厳しくなるだろう と 凹んだ
出発の朝は大抵気を張っている 新たな土地に行く 不安 期待 バスに乗れるか と言う不安
目的地にたどり着けるだろうか と言う 不安 結局不安が勝っているのだけれど...
何とか バスには乗れ 国境へ やはりこの日も雨 バンクーバーは海が近く雨が多いらしいので仕方ないが
国境越えもやはり緊張 しかも昨日のテロの後だ 何があっても どう検査されても仕方ない
と思ったが 意外と余裕 10分程で通過できた 再びバスに乗り シアトルへ やっとこさ
シアトルまで来た 行きはこっからアラスカまで 3時間か4時間だったのに バスだと20日弱かかった
もちろん のんびりしながらだが しかも 飛行機は200$位なのに バスで1000$近く移動費が
かかった うーん 意外に飛行機って便利ですね... でも アラスカからアルゼンチンまで
点で繋ぎたく無い どうしようもない所もあるが 出来る限り 線で繋ぎたかった 陸を進みたかった
それが自分のスタイルなのだ 金じゃない 経験だ 金は後でどうにでもなる しかし年と共に
興味は薄れ 行動力は無くなる 今しかないのだ Now or Never!
シアトルのバスディーポは カナダのどのバスディーポとも違い ヤバい雰囲気があった
汚い 人集り 治安 どれをとっても 今までにバスディーポで味わった事の無い恐れがあった
これが U.S.A なのか? と疑問すら覚えた  まー無事に乗り換え サンフランシスコに向かったのだが...
旅をしていて必要だと思うのは 感 ヤバいと思う気持ちだと思う もともとビビリやの自分は その辺は
人以上に感が良いと思う 踏み越えてはいけない 1線があるのであ無いか と思う
バンクーバーから サンフランシスコまでは25時間 無事に到着
 
 
サンフランシスコはカナダのホストファミリー一押しの場所だったこともあり
3日滞在する事に しかし相変わらず 宿の予約はしてない ガイドブックも無い
ネットであらかじめ調べておいた hostelに行くが 一杯 何処が良いか聞くと
地図で教えてくれ 行くが そこも一杯... 荷物重いです 再び今夜は何処へ...
とぼやきながら 次へ 一杯... もう駄目だ 高い所に泊まるしかない と諦めムード
しかし 歩いた 見つけた 空いてるhostelを 安堵で満たされた 少々物価は高いが気にしない
早速町へ ビジターインフォメーションセンターへ 何もわからない時はここに行くに限る
地図 見所 バスパスを購入(3日バス ケーブルカー乗り放題 15$) 
このパスのおかげで サンフランシスコを1日中バスなどで動き続けられた お勧め
毎日 バスパス全開で乗り継ぎ 前進し続けた
天気が良かったので 一通り見所を押さえる 都市の中ではかなり好きな町だ そこまで大きく無く
かわいらしい家が建ち並び 天気も毎日良くて 見所満載  
アルカトラズ(脱出不可能と言われた刑務所)に上陸したかったのだが 人気があり既に
チケット完売 行く事が出来なかった その代わりに クルーズで ゴールデンゲートブリッジ
アルカトラズ を巡った 仕方ない...
ゴールデンゲートブリッジを渡る為 バスに乗り継ぎ行ってみる うーん レインボーブリッジの方が
凄いような 凄くないような しかも赤かよ ゴールドじゃないんですか? ここは 雲が結構毎日
変わり 橋にかかるので 世界一奇麗な橋と呼ばれているのかもしれない 
クルーズで行かなくても ゴールデンゲートブリッジも アルカトラズも見える 
意外にクルーズは行かなくても良いかも...
マリリンモンローの結婚した教会グレース大聖堂は 2番目に大きいと言われている 
確かにでかいが モントリオールの ノートルダム大聖堂の方が奇麗だった(宗派が違うのかもしれない)
ケーブルカーは 面白い 昔懐かしい感じで いつも混んでいるが 大抵 飛び乗れる そんなに路線が
無いので 行き先はわかる 結構面白いので乗ってみてはいかがだろうか?
腹もかなり減ってたので 中華街へ 今まで 結構遠かったので中華街には行かなかったが
アメリカ式の料理(ジャンクフード)はどうも 体調が悪化して行く しかも高い サンフランシスコは
軽く歩いて行ける 久々のうまい飯に 満足
次の目的地は ヨセミテ その手前に1つあるYH(ユースホステル) 今回の教訓を生かして予約する事に
電話でしか出来ない 困った 一番電話が苦手なのだ しかし また一杯と言われて 時間と金をロスする
位なら 失敗しても良いから 電話しようと覚悟 いざ電話 早いぞ話すの早い 参った
とりあえず 明日から2日泊まりたい旨を伝え クレジットカード番号 有効期限 を言うと 完了
予約番号をくれ 終了 意外にいける 話せるぞ俺 と自己満足 電話の恐怖から少し逃れられた
まー実際行ってみなけりゃわからないんだけど どーなることやら(7.11)
まずはマーセドまでバスに乗り行く 全くと言っていい程情報が無かったので
とりあえず バスディーポ内にある案内所へ 情報を収集 次のバスは3時間後 町を散策
サンフランシスコと違い激暑 気温は40℃を超えていた しかも 直射日光は 突き刺さるように強い
これから南に下って行くのに本当に大丈夫だろうか と心配になるばかりであった
ヨセミテの一歩手前にある ホステル周辺には 一切食料を買える所が無いらしいので
食料を買い込む 水 オレンジジュース 肉 パン バナナ 最高の食料だ
ホステルに着いたのは20時位 バス停から 上りの道を400メートル位歩かなければならなかった...
食事を済ませ 就寝 ヨセミテ国立公園には実質 10時間位しかいれないので 
朝一のバスで出発 4Lの水分 三脚 カメラ レンズ ビデオ 荷物は常に 10キロを超えている 
体はだんだんたくましくなって行く 最高のトレーニングだと言い聞かせ 
毎日のように 10キロを担ぎ続けるのでした
ヨセミテの情報は ヨセミテロッジで手に入る とは言っても 地図があれば十分だ 
フリーシャトルを駆使して 行ける所まで行けば良い 人が下りたら 下りて 付いて行けば 
そこには何かがある 長距離歩くので 登山靴をお勧めする 帽子 食料 水分 
も十分な程に用意する事を薦める まー そんなこんなで トレイルを探しては 進み 
道を見つけては歩き 結局ほぼ休み無しで 7時間位歩き続けた
滝が 山が 川が 今までに見た事の無い 風景であった  
ホステルに着いた時には疲れ切ってた 飯を食って 寝る 
次の日にグランドキャニオンに向けて出発するのだった
 
フラッグスタッフ(グランドキャニオン)までは マーセドから20時間 
今までのバスに比べたらたした事は無い バンクーバーに着くまで 
一切アメリカの情報が無かったが 意外と情報が手に入るものだ
インターネットの発達によって 何処からでも予約や 情報を収集できる 
昔に比べたら遥かに旅をしやすくなったのではないだろうか?
英語圏はもう問題なく旅が出来るようになった しかし 次に行く国々はスペイン語圏 
どーなる事やら??
さておき フラッグスタッフに着いたのは良いが 地図も情報も無い(YHがあるのは確認済み)
どうなるか... と思っていたら バス停に宿の一覧があるではないか 早速電話 迎えに来てくれるらしい
これは かなり助かる 知らない土地で 歩き出すにはまず 地図 コンパスが必須だ 
そしてどうしようもなく 遠い時はバスを駆使する 結構目的地(宿)まで時間がかかる 
今回は2つホステルがあるのは知っていたので 予約無し 問題無かった 
しかも この二つの経営者は同じ 場所も2ブロックしか違わない事が わかった 
そしてこの時は日本人女性が受付をやっていた 
チェックイン時にグランドキャニオンツアーに参加する事を紙に書き... 何だ セドナツアーって
隣にある紙にはそう書いてあった しかも グランドキャニオンツアーは50$なのに対し セドナツアーは25$
聞いた事も無いが 行く事にする 話を聞くと セドナの方がグランドキャニオンより良いとの噂も...
とりあえず グランドキャニオンへ ドライバーはマイケル かなりクールガイ 良い男だ 
ツアーと言うと 何だかあんまり良いイメージが無いと思うが 
現地発着のツアーは 効率よく良いポイントを 巡る事が出来るので 時と場合により利用するようにしてる 
ここのツアーはお薦めだ 朝9時にフラッグスタッフを出発し 帰宅は19時 かなり長いツアーだ 
フラッグスタッフ周辺は グランドキャニオンを臭わせる雰囲気は一切無い 何処にあるんだろうと
外をずっと眺めてたが 1時間30分の移動時間中にグランドキャニオンを臭わせるものは見つからなかった
到着し マイケルが 前の人の 靴を見て歩け 決して前は見てはいけない そっちの方が感動する と言う
いざグランドキャニオンへ ドキドキする 1分位歩いてストップ 3.2.1で前を向く
そこにはまたしても驚きの風景が広がっていた 見渡す限りの広大な風景に 山のようなものがちらほら
ここは何万年もかけて 川が大地を削り 風が酸化させできた大地なのだ その浸食具合は凄いの一言
どれだけ 大きいのか 遠いのか わからない 感覚が麻痺した 
思えば グランドキャニオンを日本語に直訳すると 大地の渓谷 まさにその通りだと思った 
雰囲気的に チベットのグゲ遺跡 オーストラリアのエアーズロックに似ていた
ツアーでは サウスリム から 西に向けて進んで行った その所々で トレイルに行き 壮大な風景を見渡した
もし個人で来ていたら いけない所も多かったのではないだろうか ガイドがいると 
見える景色が違うのは明白だまたしても 疲れ切って宿に到着 速攻で寝る 
次の日はセドナに 海水パンツを持ってこいとの事だった がしかし 持っていなかったので 唯一持っている
ユニクロの短パン で泳ぐ事に 車で45分の所にセドナはある 
看板を見ると 発見されたのが1902年となっていた まだ発見されて100年ちょいだと言うのに 
こんなにも観光地化されている 何億年もかけて作られた自然が100年そこらで 
観光地になってしまうのだ そして自分も観光客の1人 何とも言えない感じを受けた
しかし 来たからには楽しまなければ と思い 思い切り子供に戻って楽しむ 
ツアーの内容は ハイキングとスイミング まずはハイキングから 始めに行った駐車場は
何だかレンジャーがいるらしく 俺はパーミット持ってないし そういうのは好きじゃないから 
違う所から行こう と言う事になり移動 いつもより タフなハイキングになると言う 悪くない 悪くないよ 
日差しは相変わらず突き刺さるように痛い 気温も35℃を軽く超えていた 
Tシャツを濡らし タオルを濡らし帽子にくっつける そうでもしないと
熱射病になってしまう 食料と水分も5L用意 上りに2時間下りに1時間半かかると言うので
万全の体制で向かう 結局 10キロを軽く超える重量で 行く事に 他の人たちは 水と食料のみ 
軽そうだ... 前にも書いた通り トレーニングだと言い聞かせ 
1人で大汗をかきながら ひたすらに歩き 岩を上るのであった 
道は険しい所も多い 直射日光と岩に跳ね返った日光で体力を奪われながらも 必死に上る
頂上に着いた時にはだいぶ息も切れていた が見渡す景色は かなり良い 
しかもマイケルは危険だが あそこは良いよ と指を指した 見てみると断崖絶壁にのびる 
1つの岩 しかもジャンプしないと行けないと言う 
行くしか無い フランス人と マイケル 自分の3人で向かう 確かに凄い 危険だ
日本だったら確実に柵に囲われて侵入禁止の場所だ 落ちたら確実に死が待ってる 
まずは手本でマイケルから 見てる方が結構怖い 1メートル位隙間を飛び越え次の岩へ 
成功 行きも怖いが 帰りの方がスリリング まー 気にしない 自分も向かう 躊躇する事無く行く 
恐れは結局 最悪のメンタルへと自分を向かわせるから 行くなら早めの方が良い 
意外に簡単に行けた 見える景色は格別だ まー 他の所から見える景色と
あまり変わらないのでけれど... 皆無事に成功 昼飯を食った後 下山直前 
嫌な雲が向かって来てるのに気付く この地域は一気に雨が降り 雷も来る のを知っていたため 
ちょっと 心配になったが 下山するしか無い 急な坂を一気に下る 雨が降ったら滑りそうな岩なので 
下山開始から20分位だろうか ぽつぽつ降って来た
急勾配は皆終わっていたので良かった 一気に雨と雷 隠れる場所は何処にも無い 
皆雨にぬれながら ひたすらに 歩き続ける で向かった先は 川 泳ぐのだ 
人間は何と矛盾してるのだろうか? 雨に濡れるのは嫌でも 川で泳ぐのは良いのだ 
不思議だ まー 気にしない 皆で泳ぐ 川の水はそこまで冷たく無く 気持ち良い ドロドロの体には
もってこいの 風呂 しかも 遊んでいるうちに 雨は止み 晴れて来た うーん天気はわかりません
荷物を持って川を渡り 再び下山開始 車に向かう
次の場所もまた川に出来た 池のような所 高台があり皆でそこから飛び込む 
10メートル位の自然の飛び込み台 自然には遊び場所が沢山ある 
ゲームやパソコンも良いけど やはり自然の中で遊ぶ方が面白い
そんなこんなで良い時間 帰路に着く 
結局フラッグスタッフでゆっくりメキシコに向けて準備しようと思っていたが
毎日遊び疲れる楽しい日々だった 
 
メキシコに向かう 


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