東欧

シリアからトルコへバスで入国 一気に雰囲気が変わった

イスラム圏の雰囲気も残っているが 何だか久々に都会に来た

そんな感覚を得た 物価も一気に上がり 残金が不安になる

たった一つの国境を越えるだけでここまで物価が上がるのか??

目指すは カッパドキア ここに来るまでカッパドキアと言う

場所があると思っていた 南米のパタゴニアと言う場所があると思って

いた様に 実際はカッパドキアと言う地域で街の名前では無い

良く映像で見たことのある きのこ岩を見る為 ギョレメと言う街に行く

以外にもシリアのアレッポを朝4時頃出て 夜にはギョレメに到着

この辺から移動がスムーズになってきた 本数も多い 値段は高い…

トイレは大抵お金を払う 70円位 高すぎだ

到着していつも通り 次の日のツアーの予約を入れる 地下神殿 きのこ岩など

恐ろしいほどに順調に進むこのごろに どっかで痛い目に会うのでは無いか?

と思ってしまう そのくらい順調

トルコは既に観光大国で何処に行っても観光客で一杯だ なかなか人が入らない

写真を撮るのが難しい まー エジプトでも ヨルダンでもそうだったか…

まーさておき 地下神殿は予想以上に凄い 深い 相当深い 

よくもこんなに掘ったな と関心する 地質学者ではないのでわからないが

この辺の地質は削れ易い地質だ 砂岩のように自分は感じた

そのせいで 昔作られた階段などは 既に階段の形をしてないものが多い

角は削れ 段差は無くなり 役目を果たして無いものもあった

後世まで原型をとどめる事はできそうも無い と感じる

様々な所を巡ったが 大体の場所が

削りやすい地質の為か 山などを切り崩して 住居にしていたようだ

本当に凄い ちょっと遠めで見ると 要塞のようにも見える

中は迷路のようになっていて 探検するには面白い 

隠し通路のようなのもあった

街を眺めても 現代の家と 山を掘って作った家が混ざって建っている

不思議な感じだ そして やたら穴が多い 窓 ドアなどなど

きのこ岩は 本当にきのこの形をしてる 削れ易い地層の上に硬い

地層がきて 風化してできたと思う おー これがリアルきのこ岩か…

と見たことがある映像ながら 笑顔になる そんな場所だ

次の日はレンタルバイクで ギョレメ周辺を周る ツアーの日は

天気が良くなかったので いまいち写真が撮れなかった 

たまたま天気がちょっと 回復したので 散歩がてら行く

何よりも驚いたことは ガソリン代 1L300円以上した

凄い こんなにガソリンが高い国は見たことが無い 中東から

安い原油は入ってこないのだろうか?? とかなり不思議に感じた

 

サフランボルに向う ここは古都で日本で言うと京都なのだろう

到着した時は何だか日本の温泉街の雰囲気を感じた

ここには有名な宿がある ガイドブックにも書いてあるのだが

バストンジュ ペンション トルコの宮沢理恵がいるとのこと

それだけで泊まってみた 確かに宮沢理恵に似てる しかも日本語

ペラペラな ヤスミン (ヤスミンゲストハウスもオープンするようだ)

宿について聞いてみると300年前に建てられた

と言う かなり味わいのある建物 この街自体の建物が独特なつくりを

しているように思った やはり古都だ

散歩していると 観光地にもかかわらず 皆人が良い 久々に時間もあり

現地の子供と遊ぶことができた 何だかすごくゆっくりできる 

そんな場所だった 夜にはハマム(トルコ風呂)であかすり すっきり!

後数日のんびりしたかったが 先を急ぎ イスタンブールへ

 

イスタンブールまでたどり着ければ 後はどうにでもなる と考えていた

ここから先は いつでもまた来れる そんな気がしていたのだ

無事にイスタンブールに到着し一安心 宿にはダマスカスで別れた 

かっちゃんが待ってってくれた 久々の再開

ここでは 情報収集とモスクの撮影 時はあっという間に過ぎていく

かなりの大都市で久々の都会に戸惑いがあったが 

まー いつも通りすぐに慣れた 噂に聞いていた鯖サンド 

何ゆえこんなに有名なのかは分からないが まー普通のおいしさだ

特に滞在する理由も無く2泊して出発

もうゆっくりしてる余裕なんて何処にも無いんだ 既にドイツから

カナダ トロントまでの飛行機のチケットは持ってる 遅れれば

何処かを削るしかない 進め

 

次はブルガリア ただブルガリアヨーグルトが食べたかった

入国は結構面倒(何故か東洋人がかなりチェックされる)自分は

平気だったが 共に行動してたノリさんが かなり怪しまれてた

まー 何とか通過 さっそく宿でヨーグルトを食べ 次の日に出発

 

何が何だか分からず 何処で何をしてるのか分からない位

日々変化 移動の繰り返し 次の移動は

東欧でもかなり面倒な移動の区間 しかも国民の休日とかで

さらに乗り換え回数が増える ブルガリア→マケドニア

→セルビアモンテネグロ→ボスニアヘルツェゴビナ→クロアチア

夜行 夜行の連続で疲労し 遂には 

降りなくてはいけないバス停で降りそこね ただ乗りで8時間…

朝4時半から乗り換え やっと次の国に入ったが 訳のわからぬ

バス停で降ろされ タクシー使えばボッタクられ バスの時刻表が

変更されてて 1泊せざるおえない で客引きに着いて行ったら

意外に良い人だったが 日曜日で飯を食えず... フラフラで眺めた

町並みは 内戦の後の サラエボ 壁は銃痕だらけ しかし 人々は

現在のんびりとしてほのぼのしている エネルギーが無いがそれだけは

感じる事ができた やっと次の日に目的地であるクロアチア

ドブロブニクに到着 丸2日かかった…

 

ドブロブニクに来た理由は ここが魔女の宅急便と 紅の豚の 

舞台となったと言う それだけ 旅とはそんな情報で動いていく

行き先はある程度 ルートはある程度 日程はある程度 決まってれば

自由に動き回れる さすがにここまで来ると ヨーロッパを感じる

風景も物価も…  

流石に疲れて… と思いきや 早速その舞台を見に歩き出す

新市街から30分~40分 要塞の様なそんな風貌のオールドタウンに

到着 観光客も大勢だ ちょっと裏路地に入ると 洗濯物が 町並みが

映画そのもの 何だかテンションが上がる ざっと一回りして宿に帰る

次の日は標高500M位の丘に登り オールドタウンを眺める 

ここは歩きでしか来れないのか? 観光客0 かなり満喫でき 

良いトレッキングコースだった

 

次の目的地は遠い ポーランドのクラコフ(アウシュビッツ)

夜行バスで出発 電車に乗り(急行などにも乗ることに)

一気にポーランド入り 何カ国またいだだろう?そんな移動距離

深夜のクラコフは意外にも人が多く 危険は感じなかった

しかも皆かなり良い人で 聞けばかなり助けてくれる 

悪い人に会わない 凄く良い国 良い民族だと感じた

AM2時頃 やっと宿に到着できた 

朝一で起きて アウシュビッツ(オセンチウム)に向かう 

クラコフから結構離れた場所にあり ローカルバスで行く

白い巨頭にも出てくる場所だ あまりにも有名なので説明は省くが

大量虐殺された場所だ その広さは半端じゃ無く 200~300万人

が収容され殺害されたのも納得がいく 当時のまんまの収容所もいくつか

残っている そして その収容所の中では説明が写真や映像を使ってしてある

あまりにも 現実離れしていて 何だか 映画を見ているような 

そんな感じすら受けた しかし これが現実だったと思うと… 

想像すらできない 一度自分の目で見てみると良いかも知れない

一日中歩き続け 精根尽き果て宿に帰る 

 

そして 今回の終盤の最大の不安でもある ロシアに向かうのであった

東欧もかなりの急ぎ足で回った ほとんどが移動 だった...

 

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