印度 ネパール


 もう日本はいいか(?)と思った僕は 日本と言う国を考えた 日本 日本...

 日本と言えば 世界1物価が高い国 最も物質的に富んでいる国 ならば 最貧国

 決まった 印度 ネパールが最貧国かどうかはわからない が自分の中ではそうなっていた

 どの旅でもそうだが 

 

行きたい国=生きたい国=呼ばれている国

である

 初海外にビビリながら 坊主にして出発(きっと自分の中で印度は坊主だった)

 9時間の飛行機に耐え 着いた あの空港に着いた時のドキドキは忘れない

 そこは まさにインドだった 空気は日本と明らかに違った ヤバイなこれは

 味わったことの無い 異様な雰囲気 バスに乗っているのはインド人とわずかな観光客

 何とか 宿を探す (日本人に助けてもらう) 灼熱の国インドは 寒く 雨だった

 見る物すべてが 驚きであり 見なければいけないこと 学ぶことが多すぎる

 今まで 見てきた物が次第に崩れていった そして新たな視覚と共に築き上げ始めた

 18年 井の中の蛙であった自分が少し情けなくなった 目標インド大陸1周+ネパール

 戦いが始まった インドの物価は日本の24分の1 安かった それゆえ印度人はぼったくる

 日本人だと思って金があるわけでは無い(現地の人に比べたら相当持っている)

 それでも 日本人と言う自分に負けるわけにはいかない 戦った(やたら笑顔だったが...)

 灼熱の印度の中で 目標は順調に進んだ 60日で

 行きと帰りの顔を比べると 明らかに違った 一人で町を歩き 宿に泊まり 飯を食い

 体を壊し 下痢にやられ ぼったくられ 道に迷い 現地の人と話し 助けられ 死を感じ

 生を感じ 体重42キロになり...

 流れない時は無い 皆平等 日本も海外も 日本人も現地人も その中で何ができる?

 

 

物があふれてる 情報があふれてる 処理しきれない ならば物を捨ててしまえ

 その方がもっと 自分らしく生きれるから

 

 

〜食事編〜

 

カレー

 この言葉は インド ネパールを旅する中で 切っても切り離せない言葉になった

 町を歩けば カレーの匂い カレーの匂いに鼻は麻痺し 当たり前になる

 何を食っても カレー風味 チキンブリヤーニ マトン...

 インドでは ヒンドー教では牛は神聖な物とされていて 食べることができない チキンが最も高価

 神聖な物なので 町を 道を普通に歩いてるし 糞は道に落ちてる

 カレーは 何処の町に行っても食べれる ナン かチャパティー と共に食う

 始めは 日本スタイルで スプーンを使い ミネラルウォーターを飲んでいた

 が いつからだろう 右手でカレーを食い 生水や井戸水を飲むようになったのは...

 きっと 自分の中の常識が崩れたのだろう 日本の常識は インドでは非常識だった

 トイレに行っても 紙は使わない 不浄の手とされている左手と 水で処理する

 カレーの話に戻るが 大抵はターリーと呼ばれ 食べ放題 20円〜50円 当たり外れが大きい

 沢木耕太郎 の深夜特急で なぜ手で食うんだ??と聞かれ Here is india!!と答える場面がある

 それが言いたかった それを言うために手で食ってたわけではないが 常に食って機を待った

 ある少年が 問い掛けた 言うしかない  

 

Here is INDIA!!

 言ってやったり   ちょっと 渋めな声で決めた くだらないことが楽しい(馬鹿なのかも...)

 他にも 様々な食い物がある バナナは安くてうまい チャイ は言わずと知れたインドのミルクティー

 ラッシーは 飲むヨーグルト バングラッシーは(大麻入り)飲むヨーグルト...

 もちろん 腹は壊した 壊した これでもかっーくらい そんなことにはめげない  が...

 帰ってきてから コレラの疑いがあった(驚)(生水はほどほどに)

 こうして なんとか食った 飯を食えるのは当たり前では無い 安いとは言え 現地の人はそれすら食えない

 そのうち 現地の人と同じ生活がしたくなった 自炊はできないが 一日ターリー1食

 頭は 灼熱と栄養不足でふらふらする やる気がなくなる でも欠かさず散歩はした

 少しだけだが 現地の人になった気分 まだまだ甘いのだろうけど

 写真を撮るには 現地の人と同じ事をするのが いいかなーと思った結果だ

 体重はみるみる減った 42キロの数字を見た時 肋骨が剥き出しになっていたのは ちとショック

 これからも 現地の人とできるだけ同じ生活をしていきたい 

 

 

郷にいったら 郷に従えだ When in Rome, do as the Romans do.

 

 

 〜宿編〜

 宿は その日に決める 決まりきった旅なんか 旅じゃない と思う

 どうにもならない時は 盗難頻発 インドで野宿 バックを抱いたまま寝る術をマスター

 誰だって言える How much? Too expencive!! discount!! それだけを武器に値段交渉

 海外に行くには 言葉を知らなくてはいけない なんて嘘だ 言葉を知ってたほうが良いが

 知らなければ 知らないなりに 楽しい物だ どうしようもなければ 日本語

 通じるわけが無いが なんとなくわかってくれるらしい(本当か嘘かは不明)

 よく 英語話せるんですか?ときかれるが 答えは NOだ 中学で習った英語しかない

 困った物だ ちょっと 英語勉強しようと思います...

 まー 何とかなってしまうのが 恐ろしい でも何とかなる なるようにしかならん

 最悪 1日起きてれば 日は昇る 眠ければ歩けばいい 辛いのは一時 後は笑い話だ

 辛ければ 辛いほど 自分が鍛えられる 辛ければ 辛いほど 後で笑える

 そんな事を言いながら 結構ビビリ だから今いるのかも知れないけど...

 宿の相場は 場所によりけり 200円以上する宿には泊まらなかった(高級は肌に合わない)

 

 

宿は その日に気まぐれで

 

 〜聖地〜

 インドにはやたらと聖地がある 数は数え切れないのではないだろうか...

 三大神(多くの人に認められている)は 

 ブラフマン(創造)ビシュヌ(維持)シバァ(破壊)

 である ビシュヌは10の化身を持ち 9番目の化身にブッタがいる

 神については 調べて新しいページを作ろうと思うので この辺で(時間がかかると思う)

 最大の聖地と言えば やはりみなの知っている バラナシ(ベナレス)だろう

 人によって言うことはまちまちだが 僕はそう思っている 

 インドといえば カレー バラナシ それしかイメージが無かった 行ってそれは結構確信した

 他にも様々あったが 一番印象が強いのは バラナシ 大陸を1周したが あれほど力を感じる場所は無い

 そこの空気と言うのだろうか? 雰囲気と言うのだろうか? 味わったことの無い空間だった

 ガンジス川は 命をつなぐ 命が1つになっている 上流では 火葬 もしくは水葬 そのすぐ下ったところで

 洗濯 木浴 食器洗い... 何なんだこれは すごい 日本では考えられない 

 朝昇る太陽は 靄の中からぼーっと上がる まるで神が現れるかのように

 人々は 来世の幸福を祈り ガートにやってくる その数も半端じゃない

 ただひたすらに祈る姿は 無宗教国日本を考えさせる 生活=宗教 なのだ

 恐ろしいほどの 宗教心に僕はただただ 驚くばかり これがインドなんだ...

 

 体が自然と ガンジスに引き寄せられる 朝の沐浴をする 水は思ったより綺麗だ

 匂いも無い 足は恐る恐る川につかる 肩までつかり 周りの印度人と同じように水を救い上げる

 太陽は 水を通して エネルギーを注ぐ 今までに無い感覚だ 少しだけ 神という存在を感じた

 だが 僕は 宗教を持たない 何があっても自分だけを信じている 自分教だ

 神は自分の中に もしや 自分にとって 自分が神なのか?? 結構笑えた

 

 

〜旅人達〜

 成田で拾ってくれてありがとう 独協YH部の 幸合子さん 伊藤君 真紀さん 悠香さん

 お前とは 何か近いものを感じる 長い付き合いになりそうだ 信一

 お世話になりました ジャラ

 共に体調不良 なおみさん そして 共にボッタクラレた 清水君 啓君

 果たして ヒンドー語の方は... 悦子さん 彩花さん

 たくましい かっこいいっす 大樹さん

 今何処ですか さとこさん

 この旅は あまり日本人には会わなかった どっちかと言うと 現地の人と接する機会が多かった

 啓君にもらった言葉

 

 今やらねば いつできる  わしがやらねば誰がやる

 出会ったみんなに ありがとう

 

〜意志の再確認〜

 よく インドに行って人生観が変わった とか言う 僕はどうだったのだろう??

 ものの見方や 考え方に影響を及ぼしたかもしれない がそれは ただ18年で築き上げた

 自分の幹に 枝が生えたようなものではないだろうか 旅はもともと好きだし 写真もそうだ

 変わったものはなんだ?? 経験 だ 経験値が上がったんだ 

 何かを見て 人生観が変わる 僕はそれが無い  目の前にあるその現実を 受け入れる

 それを そのものとして捕らえる 枝を増やしているんだ きっと

 曖昧になっていた自分の意思を再確認した 

 

 知らないことが多すぎる 見たい物が沢山ある 感じたいことが山ほどある 世界を周ろう