キリマンジェロ登山
神谷に別れを告げ モシに行く 到着は夕方 時間的に次の日から 登れるとは思っていなかったが
宿で 聞くと いきなり連絡してくれて エイジェンシーの人が 宿まで迎えに来た 全く知らない会社
に連れて行かれる どうなる事か?? と思っていたが しっかりオフィスもあり かなりしっかりとした
話も聞かせてくれた 極めつけは 出会ったタンガの海外協力隊の方の 残したコメントがノートにあった事
一気に場が和み そして具体的な交渉に とは言っても 交渉できるのは僅かで 登山に必要な金額の3/4は
政府に払わなければならない 入場料 キャンプ代 その他が 飯 装備 移動費に当てられる 
2006年1月1日から 入場料が倍になり 悲惨な金額になっているのは言うまでも無いが 全部(チップ含まず)
で808US$(政府に600US$強)これは自分が選んだルートの話 で他のエイジェンシーを回った人曰く
かなり安いらしい 
基本ルートは2本 マラング(通称コカコーラルート) 最短4泊5日 5泊6日も可能 723US$
マチャメ(通称ウィスキーロード)最短 5泊6日 6泊7日も可能 808US$ 要登山経験
今まで登山の経験はあるかと聞かれ チベットに行った とか チンボラソにアタックしたが駄目だった という話をしたら
マチャメに決定した マラングは子供 女の行く 道だろ お前は男だろ!! という一言に決定
前から聞いていた話でも マラングより マチャメの方が景色が綺麗だ 変化に富んでいる と聞いていた 
やるしかねー 出発は明日9時 宿に帰って寝る それだけだった 
オーナー曰く 登頂率85〜95% マジかよ??    後で聞いた話だと登頂率は30%位らしい

1日目
宿の前で準備を整え待っていると 迎えが来て 早速エイジェンシーに行き ガイドのレミーと初顔合わせ イカツイ顔で
少々ビビル がやはりガイドは凄い体付きをしてる 彼なら俺を山頂へと導いてくれる そう確信した 
で 借りる装備をチェックする が かなり質は悪く 6000Mの山に登る装備とは思えなかった 基本は自分が
南極に行こうと思っていた装備で 行けると思っていたので さほど借りるものが無くて良かった と感じた
オーナーの車で レミー ポーター 自分の4人で登山口に向う 途中チンボラソ山の失敗が頭をよぎる 
今回失敗したら もちろん大金を失う事になる それよりも 俺は一体何なんだ とこれだけ熱望しても登れない
決して怠けてるつもりは無い じゃあどうしたら登れるんだ 高地には登れない体質なのだろうか?? 駄目だ...
と自分自身で自問自答 恐怖心は否めない しかし 登るしかない チンボラソ山での失敗を繰り返すわけには行かない
高地順応 ペース 一体どうなるんだ?? そんな事を考えながら 車に乗っていた 
登山口に到着 標高は1800M 久々の高地の為 体がフラフラした気もした こんなんで行けるのか?
登山には 名簿に名前を書く事から始まる 次に ポーターが自分の荷物を詰め 監査員のような人が重さを量る
ポーターも20KG以上の荷物は危険とされ持って行く事が出来ない 自分は水と昼食 コンパクトカメラ カッパ
のみで5キロ程 かなり普段の荷物から考えれば軽い しかも初日はほぼ 平坦な道で 道幅も広く
ほとんどピクニック気分 3000Mまでたいして時間もかからず 到着できた しかも レミー(ガイド)と1対1なので
自分のペースをつかんで 登ってくれる 3000Mまでは かなりハイペースで登る事ができた
到着すると再び 名簿に記入 テントは既にポーターが立てていてくれて すぐに中に入る事ができた 
テントの質もかなり悪かったが レミーが気を使ってくれて ガイド ポーター用の良いテントを自分に使わせてくれた
旅の疲れ その他もろもろ で夕食を食べる時以外 朝まで深い眠りにつくのであった

2日目
3000Mの朝は寒い 借りた寝袋は少々寒かった 朝飯を食べ テントを畳みポーターに荷物を預け 
2日目の目的地3600Mのキャンプ場を目指す この日が一番楽でかなりゆっくり高地順応するように歩き
3時間強で到着 疲れて すぐに寝てしまう 夕食に起きた時 少々頭が痛い事に気づき かなり凹むが
問題無いほどの痛みと判断 すぐに眠る こんなに寝ても良いのか と言うほど寝た
レミーは寒いだろと言って 自前の温かい寝袋を俺に貸してくれた かなり熟睡
   
3日目
朝かなり快調な起床 2日連続 歩くか 飯食うか 寝るか の生活を続けていた為だろうか かなり体調が良くなっている事に
気づく 頭痛も無くなり ここでは高地順応成功 3日目は結構辛い 3600Mから一気に4600Mまで上がり3900Mの
キャンプサイトに泊まる しかも キリマンジェロ山の外見とは別にかなり険しい岩場があった 
レミーは自分のペースを守り続けてくれた とは言ってもここではまだ元気 他の登山者をバンバン抜き去った
4000Mを越えた位から 軽い頭痛が始まり 4600Mに到着した頃には 結構ガンガン痛く これは もしや今回も
高地順応失敗か?? と感じてしまった とりあえず 4600Mで30分程休息 血中のヘモグロビンの量を増やす為だろうか?
で一気に3900Mまで下る 天気はいまいちで 深い霧の中を進んでいくのであった
キャンプサイトに到着した時には 既に 頭痛は無くなり 快適な歩きが出来た 

キャンプサイトの前には 聳え立つキリマンジェロ山
外見からは想像がつかない 絶壁に驚きを隠せない 見た目はなだらかな山だったのに 

やはり 山は行ってみないとわからないものだ
 山は美しく そして 雄大だった
4日目にこの絶壁を登っていかなくてはならないのは 明白だった
しかし 日々体調が良くなり パワーが上がっているのが実感できた 

順調だ このまま山頂まで行けたら と願うばかりだ

4日目
朝8時(毎日だが...)キャンプ地を出発 目指すは 最終キャンプ地 4600M 絶壁を登り始める
ペースもかなり落ちている登山者を見かけた が自分は絶好調 バンバン登山者を抜いていく事ができた
絶壁と言っても ザイル(命綱)が必要とまでは行かず しっかり両手で岩を掴めば平気な感じであった
アップダウンを繰り返し 徐々に登る そのせいもあり頭痛は無い 行ける 行けるぞ 体もまだ軽い
ひたすら アップダウン で同じルートで6泊7日の人が泊まるキャンプ場に到着(4300M)
まだまだ平気だ 昼飯を食べながら 今日の晩にやる 最終アタックを考え続けた ここから4600Mまで
アップし続ける そんな道が見えた ポーターが列を成しているのが見える そこが自分の進む道だ 丘のその上まで
ポーターの姿が見える 登る それしかなかった 体調 気力 体力 どれも絶好調だ 行くぞ山頂へ!!
途中キャンプ地がかなり高い位置に見えた 意外に長い そこまで必死に登る 流石にキャンプ地に着いた時は疲れていた
かなりの疲労感 僅かな高低差が ここまで自分の体に響くとは... とつくづく自然の奥の深さを痛感 夕方着 夕日を眺めて寝る
頭痛も結構来ていた 速攻で寝る 夕食で起こされる チンボラソでの失敗 それは飯を食う気が無かったので食べなかった事
それに尽きる 途中でエネルギー切れ 完全に動けなくなった 何としてもエネルギー切れは防ぐ 
その為に 吐いても食う そう決めていた 頭痛が結構厳しい 食う気はやはり無い が吐きそうになりながら 必死に出来る限り
食べる とは言っても やはり 半分が限界 持って来たチョコレートを無理やり食べる 再び仮眠3時間 
23時起床 寒い テントに付着した 水滴は全て凍っている 極寒の中の暗闇 恐怖は増す しかも チンボラソも深夜アタック
負けねー 自分に負けねー そうつぶやき 23時50分出発 誰よりも早い出発だった

5日目
決戦が始まった 自分との戦い 持ってる服を全部着込み 靴下2枚重ね これ以上は出来ない そんな装備 しかし
レミーは 以外にも薄着で しかも 荷物1つも無し 彼は水すら持っていない なんて言うガイドだ 凄まじい体力
保水力なのだろう と感心してしまった と同時に 良いな〜 とも思った が自分の荷物は水 カメラ 他 と結構重い
この標高での4キロ 3キロは かなり重く感じる 2時間位して休憩 足元には 雪があり 既に 足指先の感覚が無く
呼吸の切れも速くなっていた それを見たレミーは 荷物を持ってやる と言って 担いでくれた 今度は俺が手ぶらだ
やはり ガイドの体力は 想像を絶する 自分の息が切れても 彼の呼吸の乱れは一切感じれない それどころか 余裕すら感じる
彼にとって この山は 散歩コースなのだろうか? と思ってしまうほど 凄まじい
月明かりに照らされ ヘッドライトがいらなくなった そして 目の前には 氷河か雪かわからないが 白い頂が確認できた
見えたぞ あそこまで 死ぬ気で行くぞ! と気合入れなおし 再び歩き出す 段々と自分の呼吸の乱れが 速くなるのがわかる
休憩を自ら取る様になってしまった  後ろから ヘッドライトの明かりが見える そして 抜かれる この山始まって以来の出来事
悔しかった 体力の無い自分に 腹が立った しかし レミーは そんな俺に言ったんだ ポレポレ ドントウォリー
(大丈夫だ ゆっくりゆっくり) この言葉が どれだけ寒さと暗闇の中 恐怖と戦う男に勇気を与えたか 
その言葉に励まされ 本当にゆっくり 自分のペースで登れた そのおかげで 呼吸が乱れる事が少なくなり 自らの休憩(座り込み)
が減った 1歩1歩 確実に大地を踏みしめる 足が動く限り進む 次第に足は重くなり 感覚は無くなる が まだ動く
俺の細胞よ 耐え抜け そして ゆっくりゆっくり 登れば良い 言い聞かせる しかし 見えている白い山頂は まだまだ遠い
見えている 山頂はまだ遠い 見えなくなってからが近い 歩くしかねー 足元は砂 小石で 3歩歩いて1歩下がる の繰り返し
雪でスリップする事もしばしば 山頂に近づくにつれ 強風 キャップで行ったので 露出してる 顔の皮膚が痛い だからどーした
だからどーした 登れ 登れ まだ歩ける まだ行ける やはりゆっくり登ってるとは言え 白い山頂に近づくと 再び自分から休息
を取るようになった チンボラソ再び... 頭をよぎる すぐさま レミー ポレポレ ドントウォーリー 救われる
歩き始めて 5時間弱 遂に第一ピークに到着 まだ空は暗い 5分程の小休憩の後に 出発 目指すは最高標高5895M
ウフルピーク こっからさらに1時間の登り 気力すら無くなってしまうような足の重さ 疲労感 チベットの5700Mを
歩いていた時 こんなだった いや 今の方が楽か? そんな事を考えていた  道は永遠では無い事を頭ではわかっている
しかし 目の前には 終わりの無い道が広がっている そんな風に見える 1時間という数字がやたら長く感じる まるで
1日歩けと言われている感じだ 足はもう訳がわからない でもまだ動くんだ 確実に5895Mに向けて 
雪の上を歩く 岩の上を歩く 砂利 砂 の上を歩く ひたすらそれの繰り返し 何をやってるんだ俺は?
いやいや 山頂を目指しているんだ それだけが 俺を突き動かす しかし 気力とは裏腹に エネルギー切れが自分でも
わかる やはり 飯を食い切らなかったからだ と後悔先に立たず 座り込む レミーに聞く 後何分だ??
40分 30分 15分 次第に時間が短くなる 近づく で最後に聞いた時 10分そして レミーは俺の腕をがっちり掴んだ
がっちり 腕を組んでくれたんだ そして 共にアフリカ最高峰ウフルピークに到達した 偶然か何かわからないが
山頂に着いた時 朝日が地平線の彼方から昇ってくるでは無いか 何とも言えない感動 レミーと抱き合う 握手する 彼は
心からの笑みで 俺を支え そして 山頂へ導き 祝福してくれた この上ない感動 彼だから登れた そう思った
口数は少ないが やる時はやってくれる そんなガイドだ
すぐさま山頂で写真を撮り 下山開始 光が差し込んだ 山頂 大地は美しかった それしか表現できない 
下山は早い 足が嘘みたいに進む 途中第一ピークに 同じ頂を目指した 白人女性登山者が亡くなった
そして 彼女の遺体は エマージェンシーシートに包まれ 5320M と書かれた看板と共に ピークに横たわっていた
何とも言えない この悲しみ 同じ目的の中で 亡くなった人がいるのは 自分としては何ともいえなかった
下山途中 水分を取ろうとしたら 完璧に凍り付いて飲めない しかも感覚が麻痺していたのか 体温の上昇に気づかず
気温の上昇に気づかず 水分も取れず で4900M辺りで嘔吐した 出てきたのは 僅かな水と チョコレート 胃液のみ
その後すぐは バリバリ下山できたが だんだん エネルギー切れになり 再び吐き 解けた水を飲み また下り 吐き
フラフラになり キャンプ地を目指す 結局3回吐く でフラフラな俺を レミーは再びがっちり腕を組みサポート
彼の行動は 普段では動かない 俺の力を出させてくれた 何とか ヘロヘロになりながら キャンプ地に到着 飯は食えず
寝る 3時間後 起される まだフラフラ まーエネルギー切れなので当たり前だが... 何とか 果物だけ食べ ジュースをもらい
この日の目的地3100Mのキャンプサイトまで 一気に下る 果物とジュースそれだけで 俺は回復し始めた もう吐く事は無かった
レミーの下る速度が上がる それに必死についていく それの連続 標高が下がるに連れ 次第に腹が減ってきた そして 体が
軽くなって行く 回復の兆し 予想外にも 吐いた後とは思えない速度で 次々と 下山者を抜けた キャンプ地に着くとすでに
低地の植物 キリマンジェロ山頂は はるか遠くになっていた 速攻で寝て 夕食を待った 
夕食はバリバリ食べる 体内を血液が回っているのが自分でもわかる そして感じたんだ 酸素のにおいを
頭痛が嘘のように すでに体は完治していた 寝て終り
 
6日目
朝快適な目覚め 腹は少々下していたが 問題無い 登山の間 初日を除き 川の水を 汲んで飲んでた 不純物も混入
たまに虫も入っていた それに加え 疲労 少々腹を下すのは仕方ない まーそんな事は良いとして 
一気に登山口入り口(入山した場所とは違う)に向けて出発 2時間そこらで到着 遂に終了の時だ ウフルピークに行った
証明書をもらい エイジェンシーのオーナーの待つ場所まで行く 彼もかなり喜んでくれ コーラをおごってくれた
何処までもやさしい 気持ちのわかる人達に囲まれ 気分良く モシの街まで帰れた 
別れは寂しかったが これにて 登山終了 宿で6日ぶりのシャワーを浴び はるか遠くに見えるキリマンジェロを
見た時 感動再び 俺はやったぞ と言う満足感に満たされた








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