メキシコ突入
フラッグスタッフから国境のエルパソへ
持っているバスパス(ウエストコーストパス)はテキサス州が含まれていない
エルパソはニューメキシコ州とテキサス州の境のテキサス側
グレイハウンドのカウンターに行って聞いてみると 行けるよと言われていたので
安心して 再び荷物を持ってグレハンのバスディーポへ
クレームタグ(荷物を預ける時に自分のものである事を証明するタグ
ついでに行き先も書いてあるので 失った時も少し可能性が出る)をもらいにカウンターに行くと
何と このパスじゃ行けない と言われる さっきは違う人だったが 行けると言われた と言うと
駄目だ と言われ 仕方なく フェニックスまで行く 乗り換えの時間は3時間近くあったので
まー何とかなると思い フェニックス到着 何とこの日はサッカーがあるらしく さんざんな混雑
カウンターも人であふれてる... 並ぶしかない 時間はある
30分程待ってやっと自分の番 チケットを見せ エルパソに行けるか? と聞くと 行けると言う
マジかよどっちなんだよ? と思いながらも クレームタグをもらい
いざ ゲートへ待つ事2時間 遂に結果が出た 一応ビビってたので
ウエストコーストパスと言う所を隠しながら渡すが やはりそんなものは通用する訳は無く
チケットごと 持って行かれチェックされる 沈黙の瞬間 何か何とも言えない緊張感
さー どう出る? 駄目ならさらに朝まで待たなければならない それは勘弁してー 相手が口を開く
これ明日までなの知ってる?
えー 知ってます じゃあ あのバスに行って... 無事通過 いざエルパソへ
その時点でバスパスはただの紙屑に変わった
書類と言うのは恐ろしいもので 期限が過ぎたら 何の意味も無い まー そんな事はどうでも良いか...
これで ホワイトホースからメキシコまでウエストコーストを縦断し終えた
結局バスパスがどれだけ特をしたかわからないが 十分楽しめた21日間 ありがとうこのバスパスよ
エルパソには朝10時に到着 さー どうする? バスディーポにある地図で国境を確かめる距離はわからない
しかし この重機材を持ち歩くのには慣れていたので ゴー
人に聞くが既に 英語が通じる人は少なかった...ヤバい
人の向かう方へ 歩いて行くと橋があり 渡る 意外にも短く
バスディーポから30分程でメキシコ入国 しかし ここからが大変だった
まずはイミグレーションが無い これはアメリカ人にとっても 日本人にとっても
そうなのだが 3日間ならメキシコはビザがいらない地帯がありここもそうだったのだ
大抵の人はパスポートすら持って いかないのでは無いだろうか 言ってみればただの橋にすぎない
が自分にとってはそういう訳には行かない これから旅が始まるのだから
もしツーリストカードを持っていなければ 不法滞在者になってしまう
聞いてみると 何でだ? と聞かれ 長く滞在するからだ と言うとあそこに行けと指差されて行ってみると
違う橋に行けと言われ 途中で聞いてみると 連れってってやると言われ 着くと2$要求され
1$しか渡さず そんなに遠く無いだろと言うと むすっとして去ってしまった 実際場所は合っていた
中に入りツーリストカードを もらい そこには210$と書いてあり 銀行に振り込めと言われたので銀行へ
銀行の場所すらわからず 聞いたら2ブロック あっちだ と向かうが見つからず
もっと歩いたら見つかった 銀行もかなりの混雑30分待ち 皆じろじろこっちを見る
そんなに珍しいのか? それとも何だこいつは 怪しい と言う目なのかはわからないが
痛い程視線を感じる30分 気にせずお気楽に 自分の番を待つ
マスターカードのT/Cしか腰袋に入っていなかったのでそれを見せると 顔つきが 変わり
スペイン語で色々言われ わからないので 首を振ってると もう一人のスタッフが
何やら話してる 電話してる
さらにもう一人のスタッフが 何を話してるかはわからない
俺は悪い事してないぞ... 結局英語を話せる人が来て これは交換できません と言われた
うーん アメリカンエキスプレスのT/Cはパソコンケースの中 ここで開ける訳にはいかない
結局持ち金120$を交換し 20$をツーリストカードの代金として支払い 終了
さて チワワに向かいますか ガイドブックをこの待ち時間に読んでて
バスターミナルは待ちのはずれの方に大体ある と書いてあった ので向かいたいのだが
どのバス いくら 全くわからず ふらふらする 時間も既に昼1時過ぎ
距離的にチワワまでは5時間と考えていた
しかし 一体どうすれば良いのだ?
途方に暮れながら ふらつく 様々な市バスが止まる場所を発見
イミグレーションで書いてもらった バスターミナル(スペイン語では セントラル カミオン) を見せ
それしか言わず しかし通じ 出発しかかってるバスを止めてくれて 飛び乗る
しかし 何処で下りれば良いのだ? 料金も支払わず バスの中で ヤバさ全開でいると
隣の人が英語で話しかけて来た(ビクター) 助かった バスは4N$(大体40C)だと言う
運転手に支払い 話が始まる その人の英語はさほど対した事が無いので わかり合える
しかも その人はチワワ行きのバスで途中まで 一緒だと言う 何て俺は運が良いのだ
と我ながら自分の運の良さに感謝した 当たり前のように バスを降り
バスターミナルへ ターミナルは様々なバス会社が混在してて 出発時間もまばらだと言う
その人が色々な会社に 聞き あと15分で出発するバスを発見 速攻でチケットを買い
ゲートへ しかしその前に セキュリティーチェック 荷物を台に置き
自分がチェックゲートをくぐるのだが ナイフ禁止 火気物禁止マークが
俺はナイフもライターも持っていた おー ヤベー ここに来て 支払ったチケットが没になってしまう...
しかし ゲートを通過したが何も鳴らず あれ... その後 ボタンを押す
一体何のボタンかわからないが 押したら 行けみたいなジェスチャー 何だかわからないが無事通過
あのセキュリティーチェックは 何の意味もなさなかった うーん メキシコは奥が深そうだ...
と言う事でバスに乗り込むのだが 大量のバスの為わからず しかし ビクターがいろんな人に聞いて
発見 荷物を バスの下に積もうと行くと 両方積めと言う 仕方ない 運転手が言うのだから
行き先を告げ クレームタグをもらう しかし荷物は積まれない 何だか嫌な予感 嫌な沈黙
ビクターが4N$を渡した これはチップと言うやつですか...
やっとこさ荷物は積まれ 出発 ビクターにお金を渡そうとしたら いらないと言う
うーんこれがメキシコなのか? この人がいい人なのか? まーどちらにしても運のいい事は確かだ
メキシコではバスに乗る時に荷物を扱う人にチップを渡すらしい 知らなかった
カナダ アメリカはグレイハウンドを使っていたが そんな風習は無かった 国境を越えると
ただ人間の引いた線を越えるだけなのに 言葉も 通貨も 風習も 食べ物も 全てが変わる 不思議だ
メキシコのバスはかなり快適で グレイハウンドに比べたら ビジネスクラスに乗ってる感じだ
映画も流れてる
ビクターに様々な事を教わり 2時間位で彼はバスを降りた
ここからは 沈黙の時間しかも ガイドブックも
バスの下にあるのでやる事が無い
こんな時間もありだな と開き直り チワワへ向かう
チワワに着いたのは夜7時過ぎ まだ日が暮れていなかったので良かった
が再びバスに乗らなければ町まで行けない バスターミナルを出ると
市バスの待ち合い場所のような ただのベンチのようなものを発見 しばしのんびりしてると
バスが来た うーん 聞きたいが聞けない ソカロ(町の中心)しか言えなかった
その辺の人に バスを指差し聞く 乗れ乗れ みたいなジェスチャー 再び市バスに乗る
しっかり4N$も払う しかし 何処で降りれば良いのだ...?
全てがわからない こんな不安が少し好きでもある 俺生きてるな 俺何も知らないな
と感じる 実際すげー必死になって 何かを見つけよう 何か目印を探そう としてるのだが
無事に宿に着けたら 全てが面白く感じる
結局 バスの中でソカロ とその一言だけで通し 無事に降りる事が出来たのだ 何とかなるもんだ
コンパスで位置を見つけ宿に おー見つけた 入ってみるとすげー微妙
奇麗なのか汚いのか... まーそんな事は気にせず 受付へ
Do you speak English? ….. NO!
絶望を感じたが スペイン語の僅かな単語の本で頑張る
スリー ノーチェス おー スリーは英語だ... しかしジェスチャーで通じたらしい
電卓で値段を打ってくれたので カケル3で支払った 部屋はシングル 1泊10ドルちょい
悪く無い しかもタバコも吸える あー結局まだタバコ吸ってます
結局全てがうまいこと進み 夜8時30分位に部屋に着けた が 体調ぼろぼろ
腹は減ってるが何処に行けば食えるのかわからず 俺の体臭い スペイン語わからない
これ以上の疲労はあっただろうか と思ってしまう程 疲れ切っていた
まー 今までにもっとヤバかった事は山ほどあったが その時はいつも 今が一番ヤバいと思うのだ
疲れ切った体に鞭を打ち 町へ 薄暗い ちょっとビビる が食わなければ倒れる
しかし 時間も時間で店は閉まっていた が 発見まだやってる 屋台 ビビりながら行く
ちょうど何かを作っていたので 聞いてみる ケエスエスト?(これは何ですか?)
通じない ビビってって声が小さかったからだろうか? 本を見せる ブリトー 返って来た
すかさず ウノ ブリトー(1つブリトー)通じた さらに何か言ってるがわからん
鍋をさしてる どれにする?ジェスチャー うーん これ 指を指す 持って返ります
ジェスチャー 通じた 金はわからないので 50N$渡す 37N$返って来た
グラッシャス(ありがとう)と言って去るついでに近くの売店のような所で水を買い 部屋へ
ブリトーを食べる うまいが少々辛い でもうまい
何とかチワワまでたどり着き 何とか宿に泊まれ 何とか飯を食い 必死だった
結局フラッグスタッフを出発してから 宿に到着するまで25時間以上かかった 疲労は否めない 寝た
次の日の朝 体が動かない やっとこさ 起きるがふらふら すかさず ビタミン剤 胃腸薬 アミノ酸を飲む
でも速攻で効く訳は無く だらだら 部屋でのんびり でも 動かねば 飯も水も 何も手に入らない
再び鞭を打ち外へ 天気は快晴 気分は うーん駄目だー 動き出すと少し 体が軽くなり 飯を食わず
銀行へ直行 しかも場所がわからずふらふらしてたら発見 またしても マスターカードのT/C両替できず
マジで使えない マスターカードT/C もう2度と買う事は無いだろう しかし 俺もそこまで阿呆では無い
こんな事もあろうかと アメリカンエキスプレスのT/Cをパソコンケースから出し用意しておいたのだ
すんなり 両替 その後 ツーリストインフォメーションを求め ふらつくが発見できず その日に覚えた
ドンデエスタ?(?は何処ですか?)で聞く 3人に聞きやっと 到着 しかも大した情報が無い
ツーリストインフォメーション マジで使えない 地図を手に入れた
チワワから ロスモチス行きの電車の駅を見つけた バスは朝早くて走ってない タクシー
で行け と言われた が 縮尺は無かったが 地図で見ると そんなに遠く無い 行く事にする
飯を食うのを忘れグロッキーになってる自分にやっと気づき 再び昨日とは違うが
ブリトーを食う あんまり飲まないコーラだが2本飲んだ 体が糖分を欲していたに違いない
いざ駅へ うーん 何処だ何処だ と探しているうちに 発見 徒歩で30分 まー荷物を担いで
行っても40分の距離 タクシーの必要性を疑った 歩いて行く事を決意
チワワは休養を含め3日泊まる事にした やっと落ち着けた
明後日 電車で向かう
スペイン語
只今メキシコ3日目 スペイン語が全くわからず突入したわけだが
勉強して少しづつだがわかるようになって来た
今コンビ二に行って来たのだが
全部聞き取れた コモエスタ?(元気ですか?) とウ゛ィエンテ イ ウノ(21N$)
グラッシャス(ありがとう) だけだが来た時に比べたら 良い上達ぶりだ このまま勉強を続行する
かなり 英語に近い 言葉もあり 勉強はしやすそうだ 単語力を増やし 会話していく
これから5ヶ月 スペイン語圏にいるのだから 頑張って勉強する
今となれば 英語は結構話せるんだな と我ながら思ってしまう 目指せ トリリンガル
ある程度までは 行けそうだ 出来る所までやる でも勉強道具が一切無い
何処かで手に入れよう
(7.20 チワワ 部屋にて)
チワワ鉄道
朝5時起き 向かうは チワワ鉄道の駅 前日にどれくらい距離があるかあらかじめ歩いていた
荷物少々で30分 荷物を担いで40分と踏んでいた 朝5時半 出発 まだ暗い町を一人で歩く
結構怖い 町をうろつく輩も見かけたビビっても仕方ないので とっとと歩く でもやっぱり怖い
まー 何とか 駅に着き チケットも購入 いよいよ乗り込み どの車両かなんてわからない
でも何とかなる ジェスチャーでどうにでもなるのだ 席を確保 電車はサイレン無しに発車
アジアに近い感覚だ ここがアジアです と言われたら アジアだと認識できるだろう
疲れから 寝てしまった 起きた時にはすでに2時間程経過していた 景色は山岳地帯に突入
標高が上がって行くのが目に見えてわかる程の傾斜を ゆっくり電車が走って行く しかし遅い
遅すぎる まー でもこれしか 電車でロスモチスまで行く手段が無いので仕方ない
取りあえず 途中のクリールと言う町で2日泊まるつもりで下車 地球の歩き方には僅かな情報しか
載っていない まー 地図も無けりゃ ホテル情報も数件 これで良いのか? と常々疑問に思う
これからは ロンリープラネットを買おうと思う まー愚痴っても仕方ないので 下車して 客引きに
着いて行き 無事宿に到着 見た事も無い 3段ベッド しかも寝る幅は60センチ位しか無い
まー 自分の体系がそこまででかく無いので 問題無いが 西洋人には小さすぎる感じを受けた
80N$とかなり安くしかも朝食 夜食付き 悪く無い ここで久々に 英語で会話が出来た
メキシコに入ってからと言うもの まともに会話した事は無い 今までは英語に疲れていたが
今や 英語に救われてる 英語を話せるとほっとする 何だか 矛盾しているがこれが本音
一緒に飯食って ビール飲んで 疲れから速攻で寝た
次の日 レンタサイクルでクリール周辺をうろつく事に MTBにまともに乗ったのは
2年ぶりのカナダ以来
そんな事は関係なかった 交通ルールも良くわからないが
そこまで交通量が多く無いので安心
8キロ程離れた湖まで行き...
事件はそっからだ 湖から11キロ離れた所に温泉があると言うので
行く事に ダートロードと 地図に書いてあったので ダートねー と安易に考えていた
それがそもそもの間違いだった
湖までは1本道で間違えようが無い
がしかし 温泉へのダートロードの入り口にサインは無い 間違って
やたらと遠くまで 幹線道路を走ってしまった 人に聞いたら
5キロバックだそうだ... まだここまでは良いのだ
道があるから 良くわからず
5キロ程戻り ダートに入る 車の轍が道標 順調に進むはず... 進むはずは無く
かなり岩だらけの所を走り続け 時に岩を上り こんな所車が走れるわけが無い と思いながらも 進み
再び轍に戻り を繰り返した そこまでも良かった 遂にヤバい選択肢を迫られた 3本に轍が別れてる
地図にはそんな目印は無い 自己選択 取りあえず 思うがままに進んだ 轍は細くなり
明らかに車の轍では無くなり
しかし かなり上ったり下ったりしてるので戻るわけには行かない
遂に轍は無くなり コンパスだけが頼り
と言っても正確な地図なんて持ってないので
定かでは無かった 時に川の中をMTBで走り かなりでかい岩を
MTBを持ち上げて上り 道じゃない 道を2時間程進み続ける 怖かった
完全に遭難してた 遭難と言う言葉しか
当てはまらない 戻る道すら既にわからない
かなりの恐怖 感だけが自分の頼り マジで今回は死ぬか? と疑問に
思う程ヤバい でも進まなければ 確実に発見されぬまま白骨化する
それだけは嫌だ と言う事で恐怖と戦いながら進む こんな時に写真なんて撮ってる余裕は無い
が数枚撮った パンクしそうな道を進む こんなに危険なマウンテンバイク
はこの一生涯で味わった事が無い 今度は 誰か人に会いたくて たまらなくなった
それがスペイン語でも...足はもう つり かけてる でも前進するしか無い
ストレッチでごまかしながら 進む 轍を発見できた時の感動は今でも
忘れない
生きる道を発見したのだ... でもはたしてここが何処だかわかるすべも無く
前進 ゲートを発見し前に家も発見 ゲートを超えたら 銃で撃たれるかな
とか微妙に怖がりながら ゲートを超え 進む 人発見 聞いてみる レコワタ(温泉)
何処ですか? 後ろ6キロだ 嘘だろ 嘘だって言ってくれ 何度も聞いたが後ろだそうだ
戻る気にはならず... しかし
うれしい情報が この先5キロでクリールだと言う
遭難から一気に都会へ 訳の分からぬ道無き道を 確実にクリールに
向かって進んでいたのだ さすが 俺は強運だ とつくづく思った 取りあえず
飯を食いにクリールに帰る店や人が大都会に感じた クリールは小さな町だが...
飯を食いさてどうするか と考え やはり 温泉へ と言う結論に達し 再び向かう
さっきと同じ道を途中まで行き その後 違う轍を進めば良かったはず... 再び迷う
もう泣きたくなった でも今回はさっきと違って 轍らしきものが続いてたのでそこまで
心配では無かった 1時間ぐらいさまよった後 小さい 本当に小さい看板を発見
しかも木の陰に こんなの発見する方がまぐれだ と言わんばかり でも進んだ
しかもこっから5キロ と書いてある しかも進むと 全下り しかも 岩だらけの道
葛藤した後 前進を決意 下る下る そして下り切った時また分かれ道 ふざけんなと思いながら
進む 民家発見 聞いてみると逆サイドだと言う ふざけるな と思うが 行くしか無い
で遂に念願の温泉(正確にはそこがラコワタかはわからない)がそこだ と言い聞かせ
入浴 もちろん こんな危険な場所に来る人はいるはずも無く 全裸で入浴.... 冷たい
雪解けとは明らかに違うが 気温のせいでぬるい と言った感じ しかし色は 泥色
うーん 汚いのか 温泉なのかわからない が入浴 満足 帰路に着く
足が遂に疲労で動かなくなった 完全に吊った ストレッチと マッサージでごまかす
がかなり急な上りで 10メートル 進んでは止まり を繰り返し 何とか上り切る
が今度は雷 と雨に打たれる 最悪だ 何も無い大地で雷は自分にしか落ちる所が無い 
木の近くには 道が無い かなりビビりながら 限界を超えた 足で漕ぎ続ける
もう 最悪だ と叫びながら まだ死ねないんだ と叫びながら 休憩しては進み を繰り返し
ホテルまで帰って来た 着いた時には 表現できない程の疲労 飯食って速攻で寝る
でも生きて帰って来れて良かった
次の日クリールを去るわけだがここでも問題が 落石で 線路遮断
明後日まで出発しないと言う しかし途中までは 進めると言う事で 進んでみるが
宿高い 何も無い その時に出会った ジョエル とナタリーア (メキシカンだが英語が少し話せる)
に助けてもらい バスで駅から30分位の所にセロカウイと言う小さな町まで行き 宿に泊まる事に
小さな町なので30分もあれば回れて 休憩できる 速攻で寝た 次の日ツアーに参加する事に
目指すはウリケ渓谷 ここでは誰も英語は 話せない 話す必要など無いのだ ツーリストも僅か
日本語など皆無に近い そんな中で ウリケに行けるのはかなりラッキーだと思った
道は駅からほとんど未舗装 雨も多く ドロドロのダートロードが続く 40分くらい走ってウリケに到着
見渡す限りの緑の渓谷 グランドキャニオンと似た雰囲気はあったが 緑の多さに多雨を確信した
まー アメリカに近いから似た景色が あってもおかしく無いな と冷静にとらえてしまった... 
宿に帰り駅に向けて出発 電車は1日2本 1等 2等 しかも時間も1時間違い位で出発する
実質1本 2等でロスモチスに向かう ロスモチスには結構遅れて到着am2時30分
さすがにバスは走っていない ので3人でバスターミナルへ
バスのチケットを購入するのを手伝ってもらい 速攻でバスが出発すると言う事で
乗り込む 2人にはお世話になった そして 1つのドアが閉まった時 もう1つのドアが開いた
今度はフランス人カップルに出会う 彼らはスペイン語ができ
英語もできる と言う事で グアダラハラに向かうのであった
夜にバスに乗ると宿代が浮くので結構助かる しかし皆同じ考えなので 結構混んでる
最後の1席に何とか乗り込めた それにしてもうまい事行き過ぎてる
恐ろしい程の自分の強運を感じた バスはやはり遅れてる 5時間遅れでグアダラハラに到着
だいぶ体は疲労してる宿の予約は無いが 一人でYHに向かう
二人は違う宿へと向かって行った 早速勉強したばかりの単語で聞く
しかし二言めは 英語だ... まだまだ 勉強不足です
ここでも結構一杯で1日しか泊まれないと言われたが 飯を食って帰って来て再び聞いたら
平気だと言われ 難なく2日泊まれる事に このYHで会った人たちが良い人たちで
酒を飲み 英語と スペイン語で遅くまで会話が続くのであった この時に クリールで出会った
イナージとクリスティーナに再会 2日後にグアナファトに共に向かう事になるのだった
この夜 ロッカーから70?200MM レンズを落とし ピントを合わせる部分が壊れて
使い物にならなくなってしまったのはかなり大事件であった 決して
酒を飲んでたからでは無く 普通に落としてしまった... もっと注意しなければ
グアダラハラとは言ってみれば 大都会で バスに乗るのにも一苦労する場所
あまり大都会は好きでは無いので 早々に出発 とは言うものの 世界遺産があるので行ってみる
10N$(=1US$)払い
入る が世界3大がっかりの2つ目がここでできてしまった
オスピシオ カバーニャス 歴史的には凄いかもしれないが 自分には 大した事が無く思えた
そうそう 世界3大がっかりの1つ目は シンガポールの
マーライオンあれもかなりがっかりだったが これもそれに匹敵する...
まーそんな事もありながら スペイン人の2人とグアナファトに向かうのであった
グアナファト
グアナファトには4時間くらいで着く 市バスで町に向かった 途中から妙にコロニアルな雰囲気に
結構好きな感じ
ここで勉強しよう と決意させてくれた こじんまりしてて 様々な色の家があり
コロニアルとはこういうのを言うのだ
と感じさせてくれる ここは町全体が世界遺産になっている
この世界遺産には満足だ バスを降り 歩き出す 宿は決まってない 3人で荷物を担ぎながら探す
1件目の宿は一杯
2件目は何だか感じが悪く止めた で何処に行くか と討論していた時に
子供が着いて来て 何か会話してる
何でも 家で部屋を貸してる と言う事だそうだ
行ってみる 意外に良い しかも安い 即決定 学校は遅くて
閉まっているだろう と判断
皆で飯を食いに行く さすがに若く無いようで 汚いと言って大衆食堂には入ろうとしない
まーでもかなり体も疲労してるし 良いものを食べよう と思い
付いて行く 良いものを食べて酒を飲んだせいで70N$ も1食にかけてしまった...
まー仕方ないか...
次の日朝早く起きて 学校に向かう 早く着いたせいかオフィスは開いてない
で3階に上がってみると 授業をしていたので
英語で聞いてみる 英語はわからないらしく
生徒の日本人に通訳をしてもらい 聞くと10:30amにオーナーが来ると言う
待たせてもらう事に もともとオーナーは日本人だと知っていたので気が楽だ
オーナー登場 早速話を始める
2週間位で何とか旅をできるようにして欲しい
と言うのと ホームステイはできるのか? と言う事
どちらも良い答えが返って来た
その日から授業してくれると言う 助かる しかも次の日が土曜なのだが授業してくれると言う
なんて融通の効く学校なのだ とうれしくなった 先生はオーナーを含め3人
少人数性 というより個人レッスンだ基礎知識0 やる気満々で望む やはり 難しい がやるしか無い
と休憩中 オーナーと話す ここ結構部屋ありますけど
使ってない部屋とかあるんですか? あるらしい 泊まれますかね?
シャワーでないけど 泊まれるよ 良いですか?
良いよ と言う事で 学校に宿泊する事に ホームステイも良いのだが
個室で学校までドア1枚 かなり良い 鍵をもらい 出入りについて 教えてもらい 宿泊する事に
授業中だが銀行に行き 両替 雑談 その後授業再開
でスペイン語を1から勉強する事になったのであった
夜 学校の部屋に一人でいる さすがに疲れから すぐ寝るだろう と思っていたのだが 隣のバーの
騒音(かなり激しくうるさい) と 逆隣の食品店からの ゴキブリ などなど様々な 虫に悩まされ なかなか
寝れない まー 無料で貸してもらってる部屋なので 文句は言えない
この辛さを耐え切り 笑い話として日本へ持ち帰ろうと決意したのであった 
毎日1日5時間の勉強が続くのであった が またしても問題発生
土曜の授業が終わった後から水が止まった
恐らく 元栓を誰かが閉めて帰ってしまったのだ
これは一大事 トイレの水も流れない かなりの異臭と戦いながら 月曜を待つのであった...
月曜になり オーナーに 水について聞くと 屋上のタンクに水を溜め それを使ってると言う
しかも丁度 土曜の夕方に水切れ と言う事で 水のため方を教えてもらい
居る間は水の管理もする事になった
毎日5時間の授業と3時間から5時間の復習 世界遺産の町に居るのに 学校内で宿泊している事もあり
食事を買いに行く時以外ほとんど外に出ない 出る必要が無いと言うより そんな暇はなく勉強してる
と言う方が的確だろう 一生涯でここまで勉強する日々はもう無いのではないだろうか? と思う程勉強した
毎晩寝る前は 精神的疲労(脳の疲労で何故か体はふらふら) で参ってしまった
しかも 勉強だけだと面白く無いので
寝る前に必ず テキーラか ビールを飲み タバコを吸い 寝る
そうでもしないと この期間を生き抜けない
飯もかなり贅沢に食っていたので
体調はかなり良くなっていたのではないだろうか? 移動続きの旅をすると
精神的には平気なのだが 肉体的に厳しく 勉強だけの日々が続くと 肉体的には平気だが
精神的に厳しい
人間と言うのは バランスが必要なのだろう
しかし この旅ではそんな事は言っていられなかった
常に全力で物事に向かう それが例えどんなにバランスが悪くても やるしか無いんだ
そんな毎日が続き 出発前日 用意をしていた時に気づいたのが 荷物増えたな と言う事
トイレットペーパー
や勉強して まとめた別のノート 2週間30キロの荷物を担いでなかったので
不安がよぎる が再びタフな旅の
始まりだ 思えば メキシコのグアナファとは
アメリカ大陸の丁度中間位にある 一休みと言った所だろうか
しかし 時間は無情にも経過し 一時帰国まで残り130日前後となってしまった
しかもメキシコは見所が多く しかもキューバにも渡る そして 中米に行く となると
南米に到着できる頃には すでに 残り70日を切ってしまいそうだ
ここまでも急ぎ足だったが これからもかなりハイペースで行かないと 半年と言う期間をクリアできない
決して 見所を逃して行かず 写真と映像を撮り続ける となれば 一カ所に2日 長くても3日が限界だろう
見所は中米 南米と尽きる事は無い 天気を待ってたら 今は雨期だからいつまでも動けない
結局出た答えは
動き続けろ
だ スペイン語は少しだけわかるようになった 後は会話を繰り返せば平気だろう しかし 治安は
こっから悪化して行く 疲れから来る判断ミスは避けなければならない
荷物を盗られたら 速攻で帰国決定だ
ここで心身共に回復したから 平気だ
と自分に言い聞かすしかない 例え違ったとしても そう言い聞かせる事で
自分を動かし続けるのだ よく あなたは自由で良いね と言われる 確かに自由人と言えば自由人だ
けど 自由は自分の意志が継続しないと いくらでも駄目な 落ちた方向に進める
意志が継続しても かなり
ハードな事だらけ 良いね旅できて と言うけど
好きじゃなかったら やってられない 旅って意外に
楽しい事ばかりだと思われがちだが
楽しい事の方が少ない気がする 言葉の壁 未知との遭遇 減らないトラブル
それらを
楽しいと捉えて旅をできる人でなければ 長旅はきついだろう 一度お試しあれ
臨機応変 柔軟に 日本の常識を常識と思わず 吸収する位の勢いが丁度良いのではないか
なるようになる なるようになれ!
メキシコシティー
勉強も無事に終了し いざ メキシコシティーへ バスで行ったのだが その中で大体映画が流れてて
それを 試すように眺める うーん 意外にわかる 勉強したかいがあって 聞こえる わかる
とは言っても全部を理解するのは無理だが 全体のあらすじは映像と共に理解できるようになってる
行けるぞ 行ける ちょっと満足しながら メキシコシティーに でかい 街らしき所に入ってから
数時間 やっとバスターミナルへ しかも シティーは 4つのバスターミナルに別れてて 行き先によって
行くターミナルが変わる 他の都市ではバスで バスターミナルまで行かなくてはならないのだが
シティーはメトロで行けるので 意外に楽だ 早速メトロに乗り込む訳だが チケットを買って
自動改札にチケットを入れたのは
良いが 出てこない ヤベー飲み込まれた と思って 振り返る事
数回 ジェスチャーで 良いから行けみたいな感じ 他の人を見てみると
やはり チケットが飲み込まれてる このメトロは 入る時にだけチケットが必要だったのだ
乗り継ぎ その他 遠くまで行っても2ペソ お得 まー そんなこんなで 日本人宿に到着 
日本人宿に泊まったのは どれくらいぶりだろうか? 久々の日本語に和む
元々 東京に生まれ育ったので 大都市があまり好きでは無い
壊れたレンズを修理し テオティワカン(遺跡)に行きすぐに 出発予定だった 取りあえず
宿の人にカメラ屋は無いか
と聞き回り 遂に キャノンのサービスセンターを見つけた
後は 何処にあるかが問題 皆で探してもらい 発見
速攻で行く
慣れないバスはやはり利用が難しいが そこは 習いたてのスペイン語を駆使し
何とかキャノンまでたどり着き 修理を依頼 恐らく無料だろうとの答えに
傷害保険の事故申請をしてしまった事を少しばかり悔いた が 無料にこした事は無い
3日(土日を除く)で修理完了との事だったが 頼み込み2日でやってもらえる事に 
一安心で 宿に帰り シティーでの
作戦を立てる この時 同室だった
聡は近くのトルーカと言う所でハイキング中に荷物を全部取られた と言っていた
南米に行く予定が 仕方なく帰国を余儀なくされた パスポート再発行
ツーリストカード再発行 とかなり奮闘した話しを聞き
自分も荷物盗られたら速攻で帰国なんだな
と感じる そして グアナファトの同じ学校で勉強していた小夜子もシティーに
遊びに来て 3人で プエブラや 街散策をするのであった そんなこんなで 日々はすぐに過ぎ
メールをチェックしたら キャノンからメールが届いてて もうできたから 取りに来てくれ との事
速攻で取りに行き そのままテオティワカンへ ピラミッドを見るのは初めてだったが まー凄い と言えば凄いが
胸を打つ感動か?と言われれば疑問が残る がしかし
見て良かったとは思う シティーには人類学博物館
と言うのがあり メキシコ中の遺跡の凄い部分を集めたような博物館
なのだが ここがあまりに凄すぎて 他の遺跡を見に行ったときの 感動を半減させる事を発見
しかも 遺跡が多すぎて
行き切るにはかなりの時間と労力を要する
さらに 大体の遺跡が同じに見えて来てしまった うーん 困った
しかし 写真を撮る以上可能な限り 移動を繰り返し 映像を撮り続けよう と考えていた
聡は日本に 小夜子はグアナファトに 俺は オアハカへと駒を進めた
メキシコシティーは 車 人の多さと 2000M位の標高の為に かなり疲れた
オアハカ行きのバスから見た
シティーは まるで灰色の固まりの中にある都市のよう感じた
見るからに その周辺の空気が灰色なのだ...
オアハカ
シティーを出発して7時間位だろうか オアハカに到着 ここでの宿は 日本人宿に張ってあった所で
安くて良いとの事 ガイドブック 地図に載ってない宿に行くのは ドキドキと不安の両方がある
まー バス停から歩く事 30分何とか宿に着き 泊まる事が決定
朝からほとんど飯を食っていなかったので
レストランや タコス屋を探すがなかなか見つからない
シティーでは当たり前にあったコンビ二 スーパーも
見当たらなかった
結局 1時間くらい彷徨った末1件のタコスやを見つけ そこで飯を食った
ぎりぎりの生活に だいぶ疲れていたらしく すぐに寝てしまった
次の日 朝8時に宿を出発し 目指すは遺跡群 ミトラ 2等バスターミナルまで
道に迷いながら30分程かかった
スペイン語で色々と聞いてるうちに
だいぶ旅行会話ができるようになっていて フレーズブックなど持ち歩かないように
なっていた まー 大抵うまい事バスに乗り込み 目的の場所まで難なくたどり着ける 運が良いんだな
ミトラは模様が独特で 結構奇麗に残ってる
(復元されてる可能性あり だが 本物かを知るすべをもっていない)
今までの遺跡とは結構違った 遺跡に関してはもうこのくらいしかコメントできない
何処も似てると言えば似てて...写真を見てもらうのが一番わかりやすいだろう
その後 ミトラからのバスがエルアグアまで出ていないので 乗り合いタクシーに乗る事になるのだが
ここでもやはり
乗り場所が定かで無いので 聞きまくって 見つけ 乗り合いタクシーに乗り込む
いつもタイミングが良く あまり待つと言う事を
した事が無い アジアを回想させる荷台に乗り
いざ エルアグアへ 道は険しく ほぼダートロード まーこんなのは慣れっこで 驚く事は無い
エルアグアに着くと 何だか楽園を想像させるような景色に 心を打たれた そして長い年月かけて
自然が作り出した 水と石灰岩の芸術にただただ見入るしか無かった 石の滝もあり
見た事の無い景色が印象的だった
ここは メキシコで遺跡に疲れたら 飽きたら 行くと良いと思う かなり さわやかな気分になった
再びミトラに帰り バスに乗り込み ヤグールと言う遺跡に 何だかんだ言っても
近くに遺跡があると 見たくなる
が見た後は大体 似てる の一言 再びバスに乗り込み
北米で1番でかいと言う木を見に行く 確かにでかい
縄文杉とは違った感じ 幹がやたら太い しかし高さはそこまで高く無い
まー 軽く写真に収め 帰路に着く
さすがに1日に4カ所を巡ると疲労で一杯 宿に帰ると...
シティーで会った りょうさん みなさん こばさんりえさんと 重い体を引きづり
一緒に飯を食いに行った しかし 心はさわやかだ 体が疲労しても 飯と睡眠で回復する
しっかり 食って しっかり 寝る これに限る
次の日 今度は 民族が多く住む村サチーラを訪れ そして違う遺跡 モンテアルバンへ
村はかなり面白く 動物市みたいなのがあって 家畜が集まり 売買してる
その姿は結構面白いので こちらは 映像で楽しんでもらいたい
プラプラしてたら 遺跡マークが 取りあえず行った が ここは かなり面白く無い ほぼ何も無い...
再びオアハカに戻り モンテアルバンへ こちらは 意外に大きく 見応えがあるが 似てる
違う時代 違う民族かもしれないが 違いがいまいちわからない でも 写真に収めた で
いつも通り 教会の写真を撮り 宿に帰る...はずだったが
話しかけた 人が たまたま 日本の事を知ってる 教授で
2日前に東京でマグニチュード7.5の地震があった との情報 さすがにビビって インターネットで調べた
メールで母から 仙台ででかい地震があった 東京もかなり揺れたが
心配ない との事 取りあえず一安心 海外にいると 日本にいる時以上に
家族や友人の事を大切に思う 離れてみて わかる大切さ って言うやつかな
次の日夕方 宿を後にする 野副夫妻 小林さん宮澤さんと再び何処かで再会しよう と良いながら出発
目指すは 予定外の目的地 サンクリストバル デ ラスカサス これも
彼らから聞いた情報によって変更された 相変わらず予定は未定だ それで良い それが良い
サンクリストバル デ ラスカサス
全く予定外の場所だった為何の情報も無く 到着 何とかYHにたどり着き泊まる事に
一応ガイドブックに書いてある シナカンタンと言う村に行く事に ここの地域は
メキシコの中で一番貧しいと聞いた事があった そのせいかわからないが 街を少し外れた辺りは
少し治安が悪いようにも感じた が出会った人々は至って 良い人ばかり コレクティーボ(乗り合いバス)
の場所を様々な人に聞きながら 進む 見つけるまでに時間はかかるが 確実にガイドブックの地図よりも
現地の人の情報の方が正しい ガイドはやはりガイドだ 歩くのは自分なのだ 見つけた所は 少々暗がり
シナカンタン と言うと 普通の乗用車に乗れと言われる まー言われるがままに乗り込む といきなり
両サイドにでかい男が挟んで来た しかも 前にも男 運転手の人相もうーん 良いとは言えない
しかも 金が とか ここが とか 微妙にわかる スペイン語 車に行き先の表示は無い
これは ヤバいかも 速攻で車は出発 方向すらわからない自分は ヤバいな これ新手の詐欺だな
もしや 暗がりで 金品盗まれるなと悪い方向に考えていて 対処方法まで考えていた
街を離れ 森を通り 郊外へ 全員ぶっ倒す位の勢いで 気合いいれて 何処で来るか...
準備は万端だった が普通に車は進み 30分程でシナカンタンに着いた
しかも 降りる時 運転手さんに聞くと すげー笑顔で教えてくれた
しかも 決まり手のアミーゴ(友人よ...) いい人じゃないの 見た目じゃないね
と一安心して街をふらつくのであった
教会 ソカロ(広場) もう見飽きた さすがにこんだけ見てるといい加減見る気もなくなる
何処に行ってもこのセット 多少教会が独特だが 写真を撮る気力が無い
ここは 独特の織物(民族衣装)を作っていて それを見学しようと 民家をプラプラ歩いていたら
声をかけられて 制作場所へ 写真をとっても良いと言う事で 撮影しかし 大量に
撮るのも失礼だな と思い 数枚 意外にうまく撮れなかったのを後悔している が
良い人たちで 民族衣装を 着せてくれ 自分のカメラで写真を撮ってくれた が
意外に遠く 何が何だかわからなくなってる これこそメキシカンのセンスなのか?
これは 後で編集でどうにかしよう...
まー そんなこんなで 時間が過ぎ 再びサンクリへ サンクリは琥珀が有名らしく 一応調達
値切るがあまり値切れず メキシコに来ていつもそうだが 意外にぼったくらない
明らかに外人だとわかっても ふっかけてこないメキシカン が 値切る俺 うーん ごめん
次の日 オアハカから到着した こば&りえさんと 共にサンファンチャムラ村に行き
日曜市を見 琥珀の原石を購入し
終了
パレンケ
バスの中でのどがやられ ちょっと体調不良のまま パレンケへ
小さい街なので 意外にも バス停からYHまで近い 歩いて15分もかからなかった
宿に着き 荷物を置き 速攻で遺跡に向かう ここで時間は割いていられない ひたすらに歩き続け
遺跡行きのコレクティーボを見つけ乗り込む もう慣れたもんだ 車のドアは開きっぱなし もう
こんな事も気にならない 遺跡には30分位で着く 入場はいつも通り無料 学生証の威力は絶大だ
入場しカメラを出すと一気に結露 ここパレンケは 標高が低い事もあり 暑いし 湿気が半端じゃない
今までは高地にいた為 感じなかった 恐ろしい程の湿度を身を以て感じる 汗は吹き出る
意外にもパレンケ遺跡はでかく 30分歩いた時には すでに Tシャツはしぼれる状態 ズボンは
ビショビショ 短パンがお薦め しかし この地域には既に マラリアを持った蚊が存在するため
虫除け必須 まー長ズボンで来た事を後悔し 全身汗だくになって 歩き回るのだった ここの遺跡は
他とちょっと違い 4階建ての塔がある その他は うーん 変わらん
でも見ないと違いがあるかわからないので ある物は全部見た が
大して変わらない... いつも通りだ しかし 写真はやたらと毎回撮っている
恐らく帰国して 見た時に 何処の遺跡かすら わからないかもしれない... まーいいや
3時間くらいかけて見て終了 大体遺跡は3時間で何処もまわれる事がわかった しかし 休憩は僅か
YHに帰った時には 表現しがたい疲労に襲われ 飯を食って すぐに寝た
そして 7時に起きて 再び出発したのだった
メリダ
パレンケを出て9時間弱 ようやく メリダに到着 ここも 意外にバス停から近い所にホテルがあり
ガイドには名前だけ載っている所に泊まる事に 疲労はやはり激しく 個室に泊まる が
ここもゴキブリ 蚊の洗礼を受けるのであった しかし 熟睡 体調は僅かに良くなっている気がする
が次の日相変わらず朝から遺跡に 今度は ウシュマル ここは学生証が使えるが
50$ほど取られた 結構痛手 まー 仕方ない うー 観光客多い しかもツアーの団体さん
これは 嫌だ と言う事で 団体と違うルートで進む事に やはり 迷った 訳の分からぬ
薮の中を進み 葉っぱで足がだんだん切れ 参ったが 結構良さげな崩れた
遺跡を発見 絶対団体は来れねーよ とか 勝ち誇りながら 写真を撮り 再び小さな轍に 足はかゆい
気温も湿度も高い 参るが進む いつも通りピラミッド しかし ここは 意外にも角が角張ってなく
丸みを帯びている がそれだけの違いだ... 他に違いは... 遺跡の中がツバメの巣になっていて
入れない事くらいか かなりのツバメが空を舞っていた
遺跡の写真の周りに写ってる黒いのはゴミじゃないんだ ツバメなんだ...
こっからが結構大変 帰りのバスが無い へんぴな所にある為 バスは少ない
しかも何時に来るかわからない 待てど待てど バスは来ない しかも 虫が体の周りを飛び回り
かなり腹が立ったが しょうがない 我慢 1時間以上待っても来ない もう駄目だな
ここはツアーで来るのが良い と思った時 コレクティーボが現れる
この辺では走っているはずが無いのだが... 何故? うーん 相変わらずついてる 最高です
行き先は 恐らく次の村まで やっと虫ともお別れだ
奥田民生のイージューライダーが聞こえてきそうな道だ この曲は 旅先で 結構口ずさみたくなる
で次の村についてお金を払った時 運転手が あれがメリダ行きだ と指差した しかも微妙に出発してる
猛ダッシュ 何故か 体が無性に軽く 飛ぶように走れたのを覚えてる で何とか追いつき 乗車
しかも行きが35N$だったのに 乗り継いで30N$かよ まー無事に宿に帰れたのだった
どの街も どの遺跡も 確かに雰囲気は違うが 同じに見え かなり飽きていたのは確かだ...
次の日も メリダから チェチェンイツァーを通り カンクンに向かうのであった
そんなに 遺跡が好きな訳ではないんだー わかってくれー でもそこに遺跡があるから行くのみだ
チェチェンイツァー
メキシコと言えば 遺跡 遺跡と言えば有名なのが ティオティワカン とチェチェンイツァー
と言う事で遺跡には飽きているが 行く事に メリダを出発して3時間 遺跡に到着 
荷物預け場所もあり カメラとビデオだけを持って行ける 30キロのフル装備で動いてたら
死んでしまう まー10キロ位ならずっと歩いていられる
遺跡は まー いつも通り 髑髏が壁一面にあったり セノテ(聖なる湖)があったり
うーんいつも通りだ 4時間位あれば見て回れ ぐったりしたまま カンクンに向かうのであった
トゥルム
マヤ終焉の遺跡 と言うキャチフレーズに惹かれ そして自分のメキシコの遺跡として行く事に
遺跡は... 海の海岸沿いにあり 見た事の無い コントラスト 海を見渡す遺跡 は今まで無かった
そこは新しかったが ある物は変わらない カバーニャと呼ばれる海のそばのバンガローに泊まり
奇麗な海に入っている方が 面白かった
この時に シティーで出会った りょうさん みなさん(バイクで世界一周中)に再び再会 
皆で酒を飲み 砂浜で話した夜 キューバの疲れが吹っ飛ぶ 精神的に回復
このまま ゆっくりしてたかった がそれはできない
まだまだ先には見た事も無い景色が広がってる
まだ出会わなければならない風景文化人々がいるから
めちゃめちゃ蚊が多かったが 蚊帳によって快適な睡眠が得られた
次の日の朝6時にトゥルムを出発するのであった この日はベリーズを抜けて
グアテマラ フローレスまで 大変なのは承知の上で出発
さー 中米突入です
その前にメキシコ カンクンから10日程行ったキューバ編もあります
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