モンゴル  


旅の始まり

カナダで旅的には成功だったが写真的には今一でテンションも上がらず

俺何やってるんだろう と思い続けて早数ヶ月 このままじゃ終われない

そう思った 何処に行こうか? 自分の原点に返ってみたい 旅を始めたきっかけ

写真を始めたきっかけ 言ってみれば 自分の今のやりたい事の原点に戻ろうと思った

そんな時 カナダの北極圏そばで会った イヌイットが頭に浮かんだ 自分達日本人と

同じ顔をした民族が 世界中に居る事を知った では その原点は何処だ?

一概には言えないが モンゴロイド と言う言葉が頭から離れない モンゴルだな

迷い無く行く国は即決した 速攻でバイト 準備をして出発 

 

モンゴルまで 

飛行機でモンゴルに行く事もできたが ここはあえて原点に帰る と言う事を前提に

18切符の旅でスタート かれこれ 6年前に使ったルートの1部をを通る

今までの旅で出会った方 お世話になった方に挨拶しながら またまた世話になり

そして 福岡を目指す 今回は初の船での国境越え まー いつも通り なんとかなるさー精神で

釜山港(韓国)に着いたのは日本を出国して1日位だったか(高速船で3時間 今回はフェリーを使用)

韓国の地球の歩き方を持っていない自分は フェリーで知り合った日本人と共に行動 

ふらふらしてたら運良く宿が見つかり 宿泊 3日程 釜山に滞在し 大陸縦断鉄道で

ソウルへ 意外に韓国って小さい国でビビった 5時間やそこらで端から端まで行ける

ソウルでは カナダの語学学校での仲間の家に世話になる 韓国語は話せないので

英語での会話 助かる 英語がわからなかったら かなり厳しい状態だった そんな気がする

韓国語は日本語とほぼ文法が同じらしいが ハングル文字がわからないので 全く不明だった

まー 早々に韓国を後にし またまた船で韓国インチョン港から中国テンチンへ

噂ではテンチン港には両替所が無い これはミスった やべーなー どうなる?

とイギリス人と韓国人と英語で話してたら 再び日本人発見 あのーテンチンに両替所...

無いらしい 何でも お姉さんが中国の方と結婚したらしく テンチン港まで迎えに来てくれていると言う

その時両替してもらっても良いですか... 中国元を確保できる事になった

いざテンチン港に着く とりあえず入国審査のときの健康チェックでやたらと引っかかり サーズを心配する

が何故かほとんどの人が引っかかってる有様 機械の故障に間違いない

無事入国するがやはり両替所は無く 中国語もあまりわからない3人は途方にくれた

で先ほどのお姉さんに両替してもらったが バスが無い もうタクシーしか無いらしい...

さらに3人ブルーな気分で居たら お姉さんはやさしく 北京まで乗って行く??

と声をかけてくれる 見ず知らずの日本人 イギリス人 韓国人を乗っけてくれたのだ

助かった 

無事に北京まで送ってもらい お礼を言って 夜中の北京市内を歩き宿を見つけ一件落着

中国での目的は 日本で仲間だったヒロヨが留学しているので 訪問 後はモンゴル行きの

国際列車の手配をするだけだった まずは 国際列車の手配 これは確実に押さえなければならない

と言うのも そのときは 中国ビザが日本人は15日間の滞在なら必要ないが 延長は不可能

15日を超えると 1日につき かなりの罰金が課せられるシステムだったからだ

一般に取りやすいと言われている 外国人窓口へ ラスト1席ね ハハハ と笑うスタッフ 

意外に笑えない 1週間も前なのに... 危うく罰金の可能性だった まー結果オーライ

で次は一般窓口で 開封(ヒロヨ留学先)のチケットを取る こちらは意外に困難 中国語なので

前回覚えた中国語がやたらと役に立つ 何とか取得 うまい事進んだ 

これは自分だけかも知れないが チケットとかにかに関してはかなりビビリで不安要素だ

早めに取得する 取れないとかなり焦る 

北京にはあまり興味が無いので 速攻で開封へ 明日行くからとヒロヨにはメールを送ったものの

返事は来てなかった が開封行き列車は走り出すのでした...

開封駅に到着する 駅で待っててくれるだろう その期待はいつしか恐怖へと変わった 

やべー いねーぞ しかも開封の地図 情報は0だった 時は夕暮れ 日は沈んだ

駅に何度行っても その姿は無く 家に電話しても出る気配はなく バス停で終わった...

とかつぶやきながら この焦りを悟られぬよう タバコを吸い ただただ時が過ぎて行く

このドキュメンタリーを見せたい その位のシーンだった(と思う)

やはり焦りオーラは出てたらしく すぐ近くにあった 宿の人が声をかけてくる

あー わからん とりあえず筆談で 宿探してます(我要住宿 あってるかわからないけど...)

って見せたら コイコイジェスチャー 最悪事態は脱した 荷物を置き 外に出て

電話しに行く やはり出ない 明日帰ろうそう決めて 電車の時刻など調べて 

もう一度だけ 駅に行ってみた  いた  おいコラー 何故か感激した 

地獄からクモの糸で地上に上がって来て そのまま天国まで来た感じ

何日ぶりの日本語だろう この安心感は何? 一気に開封の街が良い街に見えて来た

電車の時刻が変更になったらしい さすが中国の列車だ 時刻表はあるようで無い

まー 再会できれば どうでも良いんだけど 運が無いようで運があるらしい

屋台に飯を食いに行って とりあえず1日終了

次の日 大学のそばの宿に移り のんびりとした時間を大学寮で過ごす

再会は良いものだ 僅か数ヶ月で中国語を普通に話している姿は 驚きだった

(本人は全然と言うが 俺にはネイティブスピーカーにしか見えない)

まー そんな訳で 開封を満喫し 北京に戻り いよいよ モンゴルへ

国際列車で30時間揺られて行くのでした           

                                                                   .

モンゴル

国際列車

北京駅はいつものように混雑している 北京発国際列車は初めてでプラットホームが何処かわからない

様々な人に聞いてみるが 十人十色 全く何処か不明 ふらふら駅をしながら段々不安は募る

出発時間10分前に動きがあったので行って 通過しようとすると何故か止められ 何言われてるか

わからず また通過しようとすると 止められるだろう とこちらはチケットを見せながら 進む

何かチケットを奪われ 待ってくれー と思ってたら 行け ジェスチャー このやろー

何で前回通さないだよ とかぶちぶち言いながら 控え室へ 外国人もそこに居て 聞いてみると

maybe…  この国に確実な答えはなかなか帰ってこない まー無事に電車に乗り込んだ訳だが

外国人は何故か違う車両 何故 自分だけこの車両?? と思い部屋(長距離列車の為4人1部屋寝台)

に入ると中国人若者2人 国籍不明の人が1人 日本人(自分一人)の多国籍部屋だ

国籍不明と書いたが 元はスペイン人 次に中国人 の次にモンゴル人 と国籍が多々変わっている人

この人は スペイン語 中国語 モンゴル語 英語 が話せ 様々な国籍の人と話せた訳です

国境越えも色々教えてくれて助かった かなり中国 モンゴル国境で色々聞かれるのだが(英語可)

自分が話すより その人がやたらと話してくれて すんなり 通過できた

電車はかなり快適で(2段ベット)寝たり 話したり 飯食ったり 景色見たり 満喫

内モンゴルに入ると景色が変わり 気持ちいい事この上ない モンゴルに入るとさらに景色は変わり

着いたなー モンゴル を感じれる 

なんだかんだで 4月29日6時間程遅れてモンゴルはウランバートルに到着 外に出てみるとやたらと寒い

まー稚内と同じ位の北緯にあるから寒いのは当たり前か... さーって宿に向かいますか とプラプラ歩き出す

街の看板はキリル文字(ロシア語の文字)で全くわからん 韓国で仕入れた モンゴルのロンリープラネット

(英語版ガイドブック)を見ながら歩き出す 近場まで来てるのはわかるのだがゲストハウスらしい所は

何処にも見当たらない 普通ゲストハウスのある場所の雰囲気は何となくわかるのだが 全くもってわからん

やっと 場所を突き止めると マンションの中にある しかしドアの前に何にも表示が無い とりあえずノック

あれー 誰もいない 場所も定かでなけりゃ 誰もいない 参った とりあえず一服 人の気配が階段から

こちらを見るや否や こんにちは おー 日本人か? 次の一言は英語だった... 聞いてみるとスッタッフの

一人で駅に行ってた と言っていた おかしい 俺もあの駅から来たのだが まー良いか 

宿はまだオフシーズンらしく 誰も泊まっていない ドミトリーを一人で独占した

                                                                   .

ビザ延長

到着してまずしなくてはいけないのが ビザ延長 30日以内の滞在なら延長は不要なのだが 

できれば90日弱滞在したかったので 手続きをしなくてはならない とりあえず宿の人に

聞いてみる 1ヶ月しか延長できない あれ ガイドブックには... まー仕方ない

しかも延長手続き場所も変更になったらしい あー わけわからねー

朝リビングで さー どうするか と一人で考えていたら 日本人ですか??

と聞かれたので はーそうです ダリアさんと言ってモンゴルの人で日本語ペラペラ

何でも昨日深夜に4人日本人が来て今から ホームステイ先に連れて行く との事 行っても良いですか?

と聞くと 多分... 結局 ロシアンバンに乗って ホームステイ先まで見送り付き添いに

ビザの延長しなくてはならないが まー 明日でいいや なんてのんきな気分で 

初めてウランバートルを出る事になった ウランバートルは何でも揃う都市だ 自分の想像していた

モンゴルとは明らかに違った 一体何処に想像していた景色があるのだろう? と疑問に思っていた訳だが

答えはすぐにわかった 車で10分も走れば そこはイメージ通りのモンゴル 草原が広がる

遊牧民のゲル(テントのような家かなり快適)も見る事ができる 丁度1時間くらい走った頃だろうか

車は止まり トイレ休憩 もちろんトイレなどあるはずも無く 大地に放尿する 景色は チベットに

少し似ていた 気付くと そこはもう舗装道路など無く タイヤの跡がついているだけの道だった

そこからさらに1時間位で到着するはずだったのだが 何せ住所など無い 移動式の生活をしている

遊牧民族にとって 決まった自分の土地は無い とすれば 後は ドライバーの能力に全てが委ねられる

草原だけの大地でどうやって 移動した家を探すかと言うと 感 とゲルを探して聞く それだけだ

そんなんで結構時間はかかったが 到着 (時間はかかるが到着できるからすごい)

とりあえず サンバイノー(挨拶) 後は黙るしか術は無い 自分がステイするゲルでは無いが妙に緊張

家の中に入るとかなり広く快適空間 礼儀 言葉 何にもわからない自分は 送りに来た日本人と話す事しか

できなかった この時 ホームステイって言うのも面白そうだな と少し考え始めていた

もともとモンゴルで遊牧民の生活を経験したい それしか思っていなかったので(いつも通り予定無し)

丁度良かった 

まー そんなこんなで 30分位すると再びウランバートルに向けて車を走らせたのだった

車の中でダリアさんとガナ(日本語ガイド)と話した モンゴルの事 ホームステイの事 話は尽きなかった

ビザ延長も手伝ってくれると言ってくれたので助かった と思ったが次の日行ってみると土曜で閉まっていた

再び月曜に一人で行く 何だよこれ わからん 人が大勢いて カウンターも多い とりあえず並んで 順番を待つ

英語で延長したいと言うと 後ろで書類買って パスポートのコピー 支払いを済ませてから来い との事

せっかく順番待ってたのに... ぼやきながら 書類購入 記入 良くわからない所は無記入(いつもそう 後で何とかなる)

銀行で支払い再び列に並ぶ 結構待ったが遂に 自分の番 抜かりはねー とか独り言 紙は無いのか?と聞かれ

何で? と答えると 理由を書いた紙が必要だ と言われる 先に言ってよ... 再び失敗 面倒なのでカウンターで

書く えーっと 遊牧民の生活を見て学びたいので 延長したいです とか何とか 結構書かないとまずい雰囲気なので

必死に書く(つくづく英語を勉強して良かったと思った) できた と言って 渡す 来週のこの時間に来い と言われ

終了 引き換え証など何も無い パスポートが手元に無いのは 結構不安だが仕方ない 大丈夫な事を祈って宿に帰る

 

あー 暇だ

1週間の時間をどう使うか悩んだが ダリアさんが暇な時に 街を案内してくれた それまでは飯を食う所も

インターネットする所も 何にもわからなかったが やっとわかった しかし 街は意外に狭く3日もあれば充分 

毎日散歩 インターネットしかやる事が無い 元々都市より地方が好きな自分は カメラすら持ち歩いていなかった

テンションが落ちる あー 俺何やってるんだろう モンゴルにいながら先の見えない苛立を隠せなかった

宿に帰ってツアーの事を聞いてみるが 人が少ないので 高い バスで地方に行く事も考えたが 何故か行くぞー 

と言う気分にはならず 時間は過ぎて行く一方だった 

 

ツアー

ビザの受け取り前日 急展開 ゲストハウスで日本語を話せるアメリカ人に会った

会話のほとんどは英語であった 何でもゴビ砂漠ツアーから帰ってきたらしく

どのように行ったかなどを聞いた このゲストハウスは今人が少ないから

ツアーは出来ない 他のゲストハウスに行って 探した方が良い と言うことで早速

他のゲストハウスに行ってみる 一件目のゲストハウスで 良い情報を得た 明日 砂漠ツアーが出る 

まだ3人だから 行けると思う と でその3人にコンタクトを取った

みんな 英語圏の方々 これは 厳しいか… と思ったが 内容を聞いてからと 話し出した 

カナダに行って英語を勉強して良かったと思う瞬間であった アメリカ人カップル アイルランド人1人 

会話は早い だが 全身でヒアリング 何とか理解

8泊9日 ツアー ゴビ砂漠 ハラホリン などなど で230? まー車チャーター

してガイド雇ってこの値段なら良いか ついでに 英語も勉強してやれ と思い 即決

出発は次の日朝9時だった パスポートを難無く受け取り 食料を買い備える 遂に旅が始まった

モンゴル発の現地ツアーは 日本のツアーとは感じが違い まさに過酷である

その前に 何故 ツアーに参加するようになったかについて モンゴルについて

すぐ分かったこと 交通手段が無い あってもモンゴル語が話せないと乗るのはかなり困難である 

ついでに バス停はやたらとあり どこから何処行きのバスが出ているか定かでは無い 噂では 

ミニバンに14人ほど人が乗り身動き不可能 個人旅行で行く場合

必ずウランバートルから出て ウランバートルに帰ってくるしか 他に行く方法が無いこと それらから考えて 

ツアーが 安く 効率的に行けると思った

まー そんなわけで ツアーに参加したわけだが 思っていたよりも 快適 良い経験が出来た 

まず 個人旅行では ゲル(モンゴル遊牧民の住居)に入ることは出来ないが ドライバーの知り合い 

親族などの家に入ったり 飯を食ったり 泊まったり 遊牧民の生活に触れることが出来た 

で英語のガイドが通訳してくれたおかげで 様々なことがわかった

モンゴルを楽しく旅するなら ツアーに入った方が良さそうだ...

話しは戻り モンゴルの旅について ウランバートルを出て5分もすればそこは

草の大地が広がっている 奥田民雄のイージューライダーが聞こえてきそうなそんな感じである 

道は… 無い 舗装道路も何本かあるようだが ほとんど走ることは無かった

誰かが走ったから そこが道になり その道をさらに人が走って タイヤの跡がつき

道が完成する と言った感じ ガイドブックの地図上にある 道は そんな道だ

目的地は ゴビ砂漠 ハラホリン それしか知らなかった 予定なんて分からなくて良い

ロシアのバンに乗って 何処までも続く草の大地を走って行くのであった

初日 泊まったのはゲルだった 1日3000TG(約300円)晩飯 朝食付き

周りには草の大地が広がるのみ…

ゲルについて少し ゲルはかなり快適な空間でまるで家のようだ 何も無い大地に ポツン ポツンと立っている 

強風だろうが 雪だろうがびくともしない 作りはいたって簡単だ まず 柵のようなものを立て 

天上を支える棒を88本 組み立て 柵の周りを フェルトで囲い 全体を白い防水の布で覆う 天上より 紐などで固定する

たったこれだけだ でも これがかなり快適なのだ あーあと天上の頂点は

窓があり 夜など眠れないときに 見上げると満天の星空が室内から見える

ゲルはさておき 遊牧民が 何も無い大地でどうやって生きていくか すげー不思議だったで自分の経験 

観察から分かったこと  まず 水 人間は約70%が水でできている

水分を摂取しなければ 一週間と人間の体は持たないだろう この荒れた大地の何処に水があるというのか... 

井戸があるのだ ゲルのあるところから10KM範囲以内に井戸があるという 実際水汲みを手伝った時 

驚いた 10数メーター掘った井戸の中から 水が湧いていた そんなに綺麗な水とは言えないが 

沸かせば十分に飲める  次に食料 羊や馬 牛 ラクダ 山羊などの家畜がいるので肉には問題無い 

あとは 炭水化物  ビタミンだ 話しを聞くと 村に買出しに行ったときに 小麦粉 

や野菜を大量に仕入れるとのこと 基本的には野菜は食べず ビタミンは乳製品から摂取しているらしい

電気も得ることが出来る 太陽電池だ モンゴルは雨があまり降らないようで 天気はかなり良いと思う 

さらに 緯度が高いこともあり 夏は11時過ぎまで太陽が沈まない

30%程のゲルには太陽電池と車のバッテリーは装備されていて 電気が夜にはつく

テレビや衛星アンテナがあるゲルもある  5月上旬にツアーに参加したわけだが かなり寒暖の差が激しい 

Tシャツで歩ける日もあれば 真冬の装備を着こまなければならない日もある がそれを解消してくれるのが

必ずあるでかいコンロである 外は雪が降っていようとも 一度火を焚けば かなり快適空間 Tシャツでも居る事が出来る 

トイレは 無い もしくは 大地を掘り 柵がある それだけだ 綺麗なトイレが無いと

駄目な人は ゲルステイは不可能だと考えて良い 一度 野グソ 野ションを味わえば

その快適さに魅了されること間違い無し(と思う)

服はデルと言われる 民族衣装を身に着けている ある服は布でできている ある服は

動物の革でできている 靴はフェルトと革でできていて 膝位まであるブーツ(ゴタル)がメインだ

話しは戻り ツアー2.3.4.5.6.7.8日と毎日ゲルに泊まった  

一日のほとんどをロシアンバンの中で過ごす 意外に移動で体力が奪われる 車内の会話は

全て英語なので そちらもかなり疲れる やはり母国語は落ち着く と言うか疲れを感じない

日本語シックにかかる 

まー 砂漠を見たり ラクダ 馬に乗ったり と時間は限られているが楽しい日々が続く

が 何か今イチぱっとしない もしや ホームステイしたくて仕方ない?

その思いは日に日に強くなり ツアーを終えて行くのであった

                                                               .

ホームステイ

無事にツアーも終了し 再びウランバートルへ ダリアさんに再び世話になる

今度は日本語で卒論を書かなくてはならない ガナの卒論を書き始める 内容は決まっていて

文章もほぼ完成してる しかし彼女にとっては外国語 文末 や 接続後 と言った細かい

ニュアンスはやはり難しい と言う事で パソコンで論文を書く手伝いをする 

しばらくそんな日が続き ダリアさんと共に北へ小旅行に出かけた 女一人では不安

俺は 全く言葉がわからず不安 共に行くのがベストだった 

まー こちらも難無く無事に終了し ホームステイをする事になった

ダリアさんは実験的に今まで連れて行った事の無いゲルに連れて行く 

そちらの方が より遊牧民の生活がわかる と言った 最近ではウランバートルの近辺に

遊牧民が移動して来て 観光客を泊めて 生活している人々もいると言う

そんな訳で ダリアさん父の運転で見知らぬ土地へ 出発 不安は隠せない

世界ウルルン滞在記 所の騒ぎじゃ無い こちらは その日にいきなり来た

訳の分からぬ しかもモンゴル語がわからない外人が自分の家にステイするのだ

通訳 ビデオ 一切無し 下手したら ヤバいですよこの企画...と自分で言い出したのだが

ビビった まー 最終的にはダリアさん父の知り合いの知り合い (まー他人ですね)

その人の家族のゲルにステイする事になったんですけど その場所には3つゲルがあって

1つのゲルの主人の人相が怖い事極まりない 数十分交渉した後に決まったようだ

俺には何の決定権も無かった 言われるがままに ステイ先決定!

じゃー 11日後に迎えに来ますから とダリアさん ダリアさん父は去って行った

                                                 .

遊牧民になる 10泊11日のホームステイ開始

あー どうなるんでしょう タバコを吸って お土産のウオッカ(ゲルに行く際は買って行きましょう)

とお菓子を渡し 沈黙 こりゃこの先が思いやられる....

最後の切り札 指差し会話(各国のがあるのでかなり便利)を早速投入 意外に興味新々の様子

私の名前は明です から始まって 家族 日本 相撲 モンゴルの事を少しずつ会話する

意外に面白い 些細な事で互いに 笑える そして究極の文章 手伝う事があれば何でも言って下さい

それを見せたら 皆の顔つきが変わる 男手入りましたー と言わんばかりだった

ホストマザーがゲルの回りを色々紹介してくれる 隣の人相の悪い主人も安心したらしく 笑顔がこぼれる

俺生きて行けそうです 地図では今モンゴルの小さな1点に存在するけど そこには人が住んでいて

皆いい人そうです と空に向かって言ってみた

で こっから 様々な仕事をジェスチャーで教わり 腕にすぐボールペンでメモ 物の名前 仕事内容

はこれで充分 言われたら それを実行する 主な仕事は 羊 ヤギの放牧 乳搾り 水汲み 糞拾い

食事作り 乳製品作り +たまに来る農業する若者と畑仕事(こちらも実験的にやっていた) これだけだが

これだけで1日が普通に終わって行く 言葉が話せない分 仕事は精一杯だ 全て覚えるのに4日はかかった

それと 結構礼儀作法があって それを覚えるのも大変だった 間違った事をしたら 何やら注意される

あー これは駄目なんだ と理解 それの繰り回し 段々に覚え 仕事もスムーズ ただ未だにわからない

礼儀があって ウオッカを3杯飲むものだと言われ 必死に飲んでいたんだが それが俺だけなのか 本当の

礼儀なのか... まー 良いか  

                                                  .

丁度ステイ5日目にオボー祭 と言う1年に1回の 遊牧民が集まる祭りがあった 隣の主人はロシア製の

バイクを持っていて連れて行ってくれると言う ホストファーザーは馬で向かった モンゴルに限った事では

無いが もちろんノーヘル 3ケツ当たり前 今回は隣の長男と3ケツで会場に向かう

モンゴルの草原にほぼ道はない 2輪のバイクで走るのは困難なはずだが やたらと飛ばす

まー こけても 草原だから平気だけど... 行き先は会場と思いきや 民家に入って知らない人の家に

何やら挨拶 そして一服 また出発 続いてゲルを2件程回る どの家でもウオッカが出て 教えられた通り

3杯を飲み干して行った さすがに運転する主人は飲まないはず... 飲んでるよ 結構飲んでる

まー気にしない やっと会場に向かうような雰囲気になり バイクで走り出す がいきなりパンク

どうするのかな と思ったら 何処からとも無く 工具が出て来て 直し始めた もちろん手伝うのだが

意外や意外に 日本のバイクと作りが違い すぐにタイアが外れ パンク修理ができるようになっている

日本のバイクもこんなんだったら良いのにな と思ってしまった モンゴルでは 壊れたら基本は

自分で修理する と言うのがあるようで 全てがシンプルな作りになっていて さらに男の能力は高い

日本とは大違いだ 何でもできる男になろう そう決めた 

で30分くらいで無事に修理完了 会場に向かう 

会場は 山と言うか 丘と言うのか そんな高台の山頂だった 大きなオボー(訪れた人が石を置いて

行き積み上がった小さな山のような物)があり 既に遊牧民が多くいた まー どうすれば良いのか

全くわからず おろおろしながら 写真を撮った ホストファーザーはかなり酒に酔ってる まー祭りですから

お坊さんが様々な祈りを捧げて みんなで酒や食い物を回す あそこにいた外国人は俺だけだろう

全てが新鮮で 心地よかった 

今度は競馬をすると言う事で 再び移動 会場は小さな村の一角 日本の競馬とは大きく違う

子供たちが各々の馬に乗り スタート地点へ(かなり遠く) いつスタートしたかはわからないのだが

歓声と砂煙と共に1位の馬がゴールに入る 裸馬に乗ってる こんなスピード出して良く落ちないなと関心

続々と馬は入ってくる あっという間に 全部の馬が入り終了 ホストファーザーとその村で勉強している

次女に会う 意外にあっさり祭りは終わり バイクで帰路につく 今度は4ケツだ〜

主人 長男 次女 俺 結構無理があるが 問題なく走り続けるのだった

夜 まだホストファザーは帰って来ない まー祭りですから と皆床に着く 深夜2時位だったか

何やら外が騒がしい じっと横になっていると 数人が家の中に ホストファザーも居た 泥酔している

様子で 床に倒れ込む 何やら他の人とホストマザーが話してる いきなり家を飛び出した 

数分後バイクの音が 隣の主人の物だ といきなり走り去ってしまった 何が何だかわからない

がまた静寂が戻る 連れて来てくれた人も帰り 眠りにつく

朝 起きてみるとホストファーザーは相変わらず床に寝てる ホストマーザーは9時位に帰って来た

かなり冷え込んだ様子で 震えていた 後からわかった事だが 祭りに行く時にホストファーザーが

家畜を連れて行っていたらしく 泥酔して 何処かに忘れて来たらしい それを夜中バイクで

隣の主人と探していたらしい 何せ家畜は遊牧民の財産だから 居なくなったら大変な事になる

まーそんな訳で 無事に一件落着  でその後がすげー感心した 普通だったらあんたがそんな事するから...

と喧嘩になるはずだが 誰も何も言わず 普段の生活が始まったのだ 母は強しですな

                                                       .

畑で共に働いた若者とも楽しい時間を過ごした 外人に会うのは初めてなのだろうか 興味を持ってくれた

共に砂吹雪きの中で働き ドロドロになってタバコを吸う 言葉はやはりあまり通じなかったが それでも

それぞれがどんな人か すぐにわかる ある日仕事が終わった後 タルヲック(モンゴルに住む ネズミのような

狐のような動物)を狩りしに行くと言うのでついて行ってみる 何も無い草原に穴ぼこがあり そこに住んでいると言う

俺の肉眼では到底見えない それを照準が合ってるのか合ってないのかわからないような 銃で打つ

1発でしとめた すげーよ こりゃスナイパー並みだね 恐れ入ります

ゲルに帰って調理するのかと思いきや 糞と石を集めろ と言われ 必死に集める

トラックからガソリンも持って来て何をするのか と思いきや 糞の上に石を置き ガソリンをかけ

燃やした その一方で タルヲックを奇麗に裁いてる 今までに見た裁き方と明らかに違う 興味新々

首を取り 内蔵を取り出し 肉を取り出し 食べれる部分と食べれない部分に分け 切り 塩と酒 

タマネギを再び入れる そこに熱した石を突っ込み 揉む ついでに 残り火で焼く 

蒸し焼き何だか 焼き何だか 何だか良くわからないが 出来上がってみると 良い匂いだ

食べてみるとかなりうまい 皆手もドロドロだし 酒に酔ってるし そんな事は関係なかった

この瞬間モンゴルの一点で 狩りをして 調理して 食ってる 飲んでる それだけで楽しかった

良くわからないけど 皆大声で笑った 

                                                       .

そんなこんなで毎日が過ぎて行く 仕事も礼儀もだいぶ覚え 村から帰った次女と共に結構仕事をこなす

モンゴルの遊牧民の家にはかなりの来客がある と言うのも10年程前まで馬で移動していた民族なので

ゲルは一種の宿のような感覚のようだ そうでもしないと 食料 水が調達できずに死んでしまう

誰のゲルでも気軽に入って行き 飯を食い 飲み 泊まりそして去って行く 持ちつ持たれつ の関係が

見事に成り立っている 誰も文句は言わず いつも大歓迎している姿に 俺の器は小さいな と感じる

金ではなく 気持ちで繋がっている関係 損した 得した じゃ無い関係 すげー良いなと思った

東京で同じ事ができるか と言われれば 答えはノーだが せめて気持ちだけでもそう持ち続けたい

話は戻り 来客だが 家族が知らない人から 親族まで 10日のうちでのべ100人以上の人が訪れた

十人十色 様々 泊まる人は大抵ウオッカを持って来て 宴となる 一人一人歌って行くのだが

当然のように俺にも回ってくる ウオッカを一気し歌い出す もちろん日本の曲 聞いた事も無い

曲だからだろうか 皆聞いてくれる そして酔ってるからだろうか 皆大喝采 ホストファーザーに

抱きつかれて キスされた記憶もある ゲルの中で聞くホストマザーの長唄 心に響くぜ 最高だ

                                                      .  

ある日羊と山羊を馬で誘導しろと言う指令が出たので 初めてモンゴル馬に乗って大地を駆け回る

すげー気持ちいの 風切って 誰にも誘導されず 好きな方向に走って良い 体から出てる見えない全ての

束縛と言う 線が 次々に切れて行った 元々馬には乗れるのだが モンゴル馬は初めてで しかも

観光客用に調教されてないからどうなるか と思ったが 意外に平気だった 是非モンゴルに行ったら

馬に乗って草原を走ってもらいたい こちらも最高だぜ

                                               .

食事に関して少し 遊牧民は何を食べているかは 前に書いたが ここではその調理法を書く

基本は 小麦粉 を水で練って 切ってゆでたり 蒸したり 焼いたり そのスープなどは

大体が塩 もしくは牛乳 たまに米もあるのだが 米と牛乳の組み合わせは俺はちょっと苦手

とは言うものの 食べ切るのが礼儀だな と思って いつも食べていたが その他の物は

かなりうまい 山羊を殺した時は 腸詰めにして煮て食べたり 焼いて食べたりと 贅沢三昧

酒はウオッカがメインだが 山羊 羊 馬 牛 の乳を混ぜた物を発酵させて ヨーグルトにし

それをさらに発酵させた物を蒸留すると 日本酒のような感じの酒ができる さらに残りを

漉して 丸めて乾燥させると 非常食になる まだまだ様々な食べ物を作れるようだが それにしても

知恵とはすごい物だ ある物を 無駄無く使う 地球に優しい生き方とはこう言う事なんだろうな

ホームステイを振り返って

遊牧民の家に10泊11日で過ごして行く中で 自分の日本での生活を考えた 無駄が多い

情報が多い いらない物が多い インドに行った時にも感じたが いざ現地の人と生活してみて

さらにわかった気がする 人間本来の生活とは何なんだろう 一回便利な生活を味わうと 元には

戻れないと言うが そんな事は無かった まー期間が短いと言うのもあるだろうが...

技術の進歩が激しい世の中でも それと離れた地で 笑顔で生活している人々が居る

果たしてどちらが幸せな生活かは わからないが 互いの良い部分を取り入れて 生活できたら

それが自分にとっての幸せなんではないかと思う 世界にはまだまだ様々な知恵を持った人々が

今日も生活している そんな人々にこれからも 出会えたらと思う

丁度ステイしている時に 山羊が生まれた ホストマザーは5年後に食べに来い と言ってくれた

いつかまた あの草原に帰ろうと思う  ありがとう    

                                            .

出会い 再会 そして共に

ホームステイも無事に終え 首都のウランバートルに帰って来た 久々の都会にかなり日本に帰国した気分だった

11日振りのシャワー ダリアさんの実家で世話になる メールをチェックすると結構新着があったが

その中に 明日モンゴルに行きます... オォー 今日帰って来て良かった... 

写真家 宮本瑞穂(http://www.bom-ba-ye.net/  のphoto  check it up!)がタイでボランティアをしていて

それが終了 北京経由でモンゴルに飛んで来てくれる と言うのは知っていたが いつと言うのは未確定のまま

ホームステイに行っていた 何とタイミングの良い事 次の日 空港まで迎えに行く事ができた

今まで 海外で見送ったり 見送られたり 出会って 別れて と言うのは経験した事があったが

来てくれる と言うのは初めて しかも 海外の空港に迎えに行くのも 初めてだった 

これから帰国までの20日を共に 旅し 出会い 別れ を共にした

ホームステイ後数日休息し ゲストハウスのツアーに再び参加 チンギスプレイス テレルジを訪れる

テレルジでは 馬に結構乗った もうこの頃は モンゴルの礼儀やら 作法はほぼマスターし

馬も思うままに乗れるようになっていた 

ゲストハウスに帰ると 日本人が居て話す事になった しゅらさん 勝造さん 

後からもう一人合流ひとみさん しゅらさんとひとみさんは自分がホームステイしていた所に

ホームステイすると言う事で 見送りで再びホームステイ先へ 数日振りの再会だが

妙にうれしい 感激して酒飲みすぎて 帰りには 車を何度も止めてもらって 嘔吐した

再会が一番うれしいかも... 

その後 再びウランバートル ダリアさん家でくつろぐ 日本人がツアーに参加したいと言ってます

ダリアさんの一声で ツアーが再び決定 日本から強行手段でかなり厳しい時間の中での参加者であった

参加者のしぶやさんは何と 大学の先輩 学科も同じ 惜しくも卒論のゼミは違ったが 研究室は隣だった

まー同じ時期に大学には居なかったが こんな所で出会うとは... 世界は狭いな

運転手さんは前からかなり世話になっている人で 顔なじみ ツアー中も こいつは50日もモンゴルに居て

モンゴル人だな ははは と言っていた 運転手さんの親友の家 知り合いの家 兄弟の家 と楽しい日々が

続いた 温泉 火山 遺跡などに行き あっという間にツアーは終了

しぶやさんはツアーの終わった日に日本へと飛んで行った すごいパワーだ...

自分も残り僅かのモンゴル生活 しゅらさんとひとみさんに物資を届ける意味も込めて ホストにお礼を

言うのを兼ねて 再びホームステイ先へ やっぱりうれしかった 今度もかなり飲んだが 前回を反省して

飲み過ぎる事は無かった  

                                                .

帰国

帰国日はすぐに来た いつも通り夜の空港で旅の思い出に浸りたかったので 夜空港へ ダリアさん兄が

送ってくれた ダリアさんも来てくれた こんな変な人たち居ませんよ 空港で1泊なんて...

そんな事を言われながら 空港内へ  あれ...本当に誰もいない 今までの空港は結構朝を待つ人が居たんだけど

ここは0ですか まー今回は瑞穂と二人で待ったので 思ったより朝が来るのは早かった

こうして いつも通り旅を振り返り 日本へと飛んで行くのであった 

成田に着くと3ヶ月振りの日本 荷物を外でまとめていると しまっていたウォッカが落下

見るも無惨に 割れた モンゴルに乾杯 笑った 

まー 普段はここで家に帰るんだが 今回は まことよしのの住む 赤羽に一泊して帰宅

久々にあう仲間は 日本に帰国した事を実感させてくれる 

出会った 助けてくれた 全ての人へ ありがとう 

                                        .

こうして 旅は終わった  次回の旅に 続く      2005 1.6完

                                             .