ペルーへ
グアヤキルを昼頃出発し向かうはペルー国境 
もともとペルー側のトンベスと言う町周辺はヤバいと聞いていたが
注意していてもどうにもならない事件に巻き込まれた 
まずはエクアドルイミグレーション ここは無事に終了
で国境そばのエクアドル側でまず闇両替え と言うのも 
ここの国境には銀行があっても両替所が無い 仕方なく
レートが悪いが換える事に 電卓を操作しているのまでは見破った 
で30$程換えた が後で分かるのだが この金全部が偽札だったのだ 
初めていく国で初めての通貨で見破るのはほぼ不可能だ 
見事に30$持っていかれる で次はペルーに入国してから 
イミグレーションは入国後 3キロ程の所にある まータクシーかなと思っていると
やはり人が現れる 1$でイミグレーションだと言う まー悪くない 
とりあえず何だか訳のわからないおやじも乗って来て 説明しだした 
無事にイミグレーションを通過しペルー入国 こっからトンベスの町までがまたトラブル 
ここまでは1$だがといきなりタクシーの中で言いはじめた 
しかも30$とか訳の分からない事を言いはじめ ガソリンが高いだとか 飯食いたい
だとか まーはいはい と言う感じで聞いてた で結局全部で15$払うはめに 
夜にタクシーで男二人に言われて 喧嘩にでもなって 変な所に連れて行かれ 
物や金を盗られる方が痛い 仕方ないが払った まーそのおかげで トルヒーヨ行き
の夜行バスに何とか 滑り込みで乗り込む事ができたのだけれど 
バスカウンターの人や周りのペルー人は皆いい人だった
やはり悪人もいれば 善人もいる 悪人に良く会うから 
悪人が多いと思ってしまうのだろう もっと広い視野で...
何事も無く 無事にトルヒーヨに着く 朝6時30分頃到着 
また訳の分からない場所で降ろされる この国にはバス停が無いときもある
さすがに参る とまたトラブル 財布を目の前で拾ったおやじが半分に分けようと 
人気の無い場所に で財布の中身は200US$位入ってて 危うくもらいそうになった 
がもらう前に そいつの相方が来て 財布落としたんですけど って 
お前どうやってそれ分かるんだよ なんで俺らって分かるんだよ 速攻で 
知らんって言って逃げた  この犯罪は聞いた事が無かったので危うく引っかかる所だった
本来は 金を分けて 行こうとした時に もう一人が来て その後に偽警察がくるらしい 
でもっとあった と言い 財布を見せたら最後 抜き取られて終わりらしい 
ここに来て気付いたが あと聞いた事のある軽犯罪であった事の無いのは 首閉め強盗だけだ
避けたいね これは 犯罪に遭遇すると 金銭的 肉体的よりも精神面で参る 
しかも疑心暗鬼になるので 困る いい人は沢山いるのだから 極力人を疑わずに旅を続けたい 
宿に行くと すでに潰れてる しかも安宿二つとも 
で今度はロンリープラネットに載っている方へ やってた...
朝からさんざんな日だ 宿で疲れて寝てしまった 
起きたら散歩開始 いきなりツアー会社の客引きに捕まり 
速攻で ツアーに参加する事に ハードだ と自分でも思った
しかも 次の日の午前中にツアーが終わって その日の夜行でワラスに向かう事に 
うーん 厳しいぞ ワラスは3000M 高地から海に 海から高地に 
酸素の変わりが激しいのと 気温の差が激しい 俺の体よ 何処まで持つのか 
今の所 疲労のみで 寝れば治りそうだ 動けなくなりそうな病気にはかかってない 
体も行動も臨機応変に うまい事やっていると思う でも さすがに疲れて来た 
旅をする事に慣れて来た 感動が無くなって来た 
何を見ても初めてのものじゃないと同じに見える 
遺跡 コロニアルな町並み カテドラル(教会) 広場 あるものが全部同じに見える 
もちろん治安が悪くてカメラが出しづらいと 言うのもあるが 撮る枚数が減って来てる 
しかも移動が激しくて 現地の人と触れあう機会すらない 俺は何がしたいのか 
何をしに来たのか 分からなくなって来てしまった 写真を撮りに来たのはわかる 
でも撮れないんだ...
しかも パソコンが調子悪くて と言うより結構重要パーツが壊れ ほぼ全滅 
ぎりぎり何とか旅を続けられる状態 あと2か月半 パソコンや 俺の気力が持つか 
本音の所不安だ 機材が駄目になるか 俺が駄目になるか 結構良い勝負かもしれない
でも俺は負けんぞ ぶっ倒れるまで動いてやる 日本に帰るまで 
休みほぼ無しで動かないと帰れそうに無い
 
 
ワラス
ワラスに着いたのは 11時予定時刻より5時間以上遅れた 途中でバスが故障し 
時速30KM位で走り続けた 多分ラジエターが壊れたのだろう オーバーヒートの連続で 
すぐにバスは止まりそしてまた動き出すのだった で早速町を歩き出したのだが 
何だか雰囲気が良い治安が良いように感じた 3000Mだけあってやはり荷物は重く感じる
疲労もあるのかもしれない まーそんな事は関係なく歩いて宿を探すしかない 
一軒目 一杯2件目がらがら で早速泊まる事に 個室で20ソル まーちょっと高いが 
良いや 24時間ホットシャワーがでるらしい が実際は電気シャワーで かなり冷たい
水じゃないけどお湯じゃない むしろ水に近い... まー仕方ない 早速町を散策 
ツアー会社発見 速攻で申し込む ペルーは大体1日のツアー(トレッキング 登山除く)
が10US$位が相場のようだ で後は パソコンの調子を良くすべき OS再インストール
 これがかなり時間がかかる しかもバージョンが落ちる(リカバーディスクのOSが低いため)
3時間くらいかけて復旧させる が肝心のファイヤーワイヤー(マッキントッシュのIEEE1344)
は治らない これはもしや... パソコン自体のファイヤーワイヤーが故障したようだ 
ほぼ全滅状態 外付けHDDもUSB接続に変わり カメラのデーターは
PCカード とカードリーダーからしか読み込めない ビデオのデーターも取り込めない 
もちろん ホームページへの 動画アップもこの時点で終了 終わりです ほぼ死んでます 
これを保険で修理できるのだろうか??疑問だ もうこの際 
マックからウィンドウズに再び戻ろうかな と思う事件である 帰国まで2か月半弱 
パソコンよ持ってくれ マックユーザーが少ないため 情報交換や修復が難しい 
旅先でまだ一人しかマックユーザに出会ってない 
やっぱりウィンドウズの方が融通が効くのかな... まーでもこの状況はもう変わらないので 
帰国までねばる まー ツアーの話に戻るが なんとガイドがスペイン語しか話せない 
これには参った まー 時間やその他まあまあ分かったから良いか 
ヤンガヌ湖とユンガイ(1970年の大地震の影響で大規模な雪崩が起き
2万人の住む町が消えた で今は 記念碑がある)に行き1日が終了 
で次の日はトレッキングに行く事にした 近くにあるエイジェンシーで予約 

(ガイド付きで15US$)まー悪く無い しかも再び5200Mへ 嫌な予感がよぎる 
チンボラソ山で5400M弱位でダウンした上 5000Mでも 高山病にかかっていたから 
恐かった さらに一回0Mまで下って一気にワラスの3000M で2日後に5200M どうでしょう?
まー同乗の客はみんな年配なのでそこまで心配してなかったが... 
エイジェンシーの人がいい人で 出発前にマテ デ コカを飲ませてくれた
これはコカのお茶でこの国では合法 高山病に効くと言う
(利尿作用が上がる 脳が麻痺すると言う話 定かでは無い)おかげで
バスの中でトイレに行きたくて仕方なかったのです... 
登りはじめは5000M この時点で半数がダウンして登る事をせずバスで待機
残りの半数で5200Mを目指す 皆ヨーロッパ人で 息を切らせながら登っていたが 
俺はと言えばすげー楽に登れた 仕方ないので 辛そうな人の水2人分を担いであげた 
そのくらい自分に余裕があった 途中雹に降られた グアテマラの山賊に盗まれた
上下ゴアテックス が必要だった が言っても仕方ないので 濡れながら登った 
まー全くと言っていい程問題が無かった 高山病発症まで6時間位 かかると聞いた事もある 
だからだろうか 実際歩いた時間は往復で2時間無いすぐにバスでワラスに向かう 
そのエイジェンシーは室内ロッククライミング場を持ってって ただで使わしてくれると言う 
もともとロッククライミングに興味が あったので 下山後飯を食い早速チャレンジ 
ボディーバランスはそんなに悪い方じゃ無い 筋肉も一般人よりある(はず)
がほとんど経験が無かった事もあるが 腕がパンパンになった すぐにダウン 
ガイドが手本を見せてくれたが 半端じゃ無い パワー ボディーバランス さすがだ 
帰国したら アウトドアにはまろうと思った 最近すげーアウトドア
(トレッキング 登山 ロッククライミング 他)が面白いと感じるようになって来た 
また次のステップに進むのだろうか? 今までも何回か人生のターニングポイントがあり 
今ここにいる 今度は日本に滞在しながらでも一生楽しめそうなものを発見しつつある
次の日も室内ロッククライミングに向かうのであった  そして 夜行でリマに向かう 
一日くらい何もせずにのんびりしたい と思っているのだが...性格上じっとしてられないのだろう
朝から夕方 夜位まで外で動き 夜は写真の取込み 日記 その他 休息したいが 
それは期間の問題で無理だ やるしかない 進むしか無いんだ 
ガラパゴスでポストカードを書いたのだが 切手を張る場所を忘れていた
 しかもペルーから日本までの切手を買ったのは良いが 3枚必要で 確実に書いた文章が消える 
意外に高いし 送れないし 参った また 書いて 張って送るしか無い ミスった…
 
リマ
ワラスから夜行バスでリマに向かう 夜行はありがたいが 
バス停までの500M程の道を荷物を担いで歩くのは恐かった
ワラスは治安が良いと思うが それでも万が一 22時30分のバスだが 
早めに宿を出発し21時に無事到着 ペルーに入ってから各々のバスターミナルに結構参るが 
やはり各々セキュリティーは高く 安心して バス停にいる事ができる これは結構助かる 
しかし夜行は結構車内での盗難があると言う事 大切なものはバスの下に全部積み 
防寒着と食料 水 ガイド のみを車内に持ち込むようにした がこれもまた結構恐くて 
途中で降りる人が自分の荷物を全部持って行ってしまう可能性もある
どれがベストかは分からないが 下にほぼ全部の荷物を積むようにしている 
まー危険と言ってもバスに乗れる位の金持ちだから (安いバスは別として)
大抵は平気だと思っている このバスはすごくて 2階建て 皮張りシートのバス 
リクライニングも かなりすごく 快眠間違い無しだった 
ペルーはバスの種類によって値段が倍近く違う 意外にバスは安いので 
良いバスを使う事を おすすめする 日中の移動の場合 まー どちらでも良いのかもしれないけど 
宿代を考えれば夜行は良いものに乗るそういう考えだ バスはかなり揺れ 
そしてくねくねした道を進んだ 久々に少々気分が悪くなり 寝る 
真夜中バスがパンと言う音と共に急停車 これは バスジャックって言うやつですか?? 
とかなり一人でビビっていた しかし2階の一番後ろだから最後に物を盗られるはず
様子をうかがいながら 隠そうとか対策を寝ぼけながら考えていた が... 
後から分かったが パンクだった そして故障だった パンクは山の中で修理できない為
かなりの低速で 先に向かう 予想を遥かに超える遅れに ビジネスマン怒る怒る 
何度も止まりながらバスはリマに向けて進むのであった 
朝6時位バスがかなり長い事止まっているのでここがリマか? と聞くと 違うらしい 
ビジネスマン達はここで降り タクシーでリマに向かった こちらは パンク修理 
車体のエンジンルーム の修理で 待ち 予定では朝5時30分に到着 
まー 8時位についてくれれば 明るいし安心だ と言う事で ほっとしていたのだが
実際到着したのは 昼の12時 まーたった6時間の遅れと言うのか 6時間もと言うのかは 
人次第 無事にリマに到着 ここリマもかなり治安が悪いと言う噂を聞いていたので気を張っていた 
タクシーで日本人宿に向かう これまた無事に到着 予想以上に安全そうだ 
だが気を抜くのは禁物 日本の実家に帰国するまで気は抜けない とは言うもののやはり日本人宿
荷物を散乱させても安心だ 大体を宿で過ごした ここも世界遺産の町だが 同じだコロニアル 
新鮮さが全く持って無い しかも 天気は毎日曇り 写真を撮る気も無い 
情報を収集して速攻で移動を決意 2日後にイカに向かって出発するのであった
リマの見どころは 強いて言うなら 天野博物館 ボランティアの人がインカの説明をしてくれる 
これ以外は... 天気が良ければもう少し気分も良いのだろうけど 天気が悪いと 
テンションが上がらない これ仕方無い
 
 
見所押さえ 怒濤の移動続き パート1
イカ ナスカ
リマの日本人宿で情報を収集した後 一気に見所を押さえた上で 
激しい移動が ブエノスアイレスまで続く まずは イカ 
ここはさほど有名な場所では無いのだが ガイドブックにも載っていない 
博物館に行きたかった その名は カブレラ博物館 
イカに着くまではそれがイカの何処にあるのか そして博物館自体があるのか
確信が無かった その位 マイナーなものだ そもそも カブレラ博物館とは何だ? 
と思う人も多いと思うが これは まだこの旅が始まる前 友人から一冊の本を借りた
その中に書いてあった 恐竜と人類が 共生していた...(?) そんなはずは無い 
氷河期に恐竜が滅びた後に人類が誕生したはずだ そんな証拠が 

石に刻まれて残っていると言う その石が何処まで信用できるものか

僕にはわからないが 唯一の後世に残す手段が
石だったのだろう 例え紙などあっても 燃えてしまえば終わりだ 
昔の人はそれを知っていたのだろう 前置きはさておき とりあえず イカに昼過ぎに到着し 
宿に入り そっからガイドブックに載ってる 博物館へ 始めはここに 
カブレラストーンがあると思っていた が あるのは 発掘された 土器や装飾品 ミイラのみ
やはり カブレラ博物館は存在しないのか... とがっかりしていたが とりあえず 聞いてみる 
カブレラストーンは何処ですか?? あーあれね あれは メイン広場のすぐ側だよ... 
えー ここの博物館は来るつもりがなかったのに わざわざタクシーまで使って来たのに 
カブレラ博物館は宿からでも歩いて行ける メイン広場ですか... 情報は重要ですな   
と言う事で広場に引き返し カブレラ博物館へ... 次は17時から と周りの人に言われ
一時間程時間を潰し ついにカブレラストーンとの対面 入ると 部屋中に集められた 
石が その1つ1つに様々な模様が刻まれている 手術して 
心臓を移植しているのでは無いだろうかと思う絵 人類が恐竜に乗り
猟をしている絵 地上絵 天体望遠鏡で 空を観測しているのでは無いかと思われる絵 
などなど 予想以上のものだった
 
その後日没中だが 砂漠のオアシスのような 小さな町へ ワカチーナ 
到着した時には既に日没後だったが 簡単に想像できる 砂漠のオアシス と言う感じだ
まさに砂漠のど真ん中に オアシスが すげー 観光客で一杯だったけど 奇麗だった
疲労で一杯だったが 次の日 ナスカの地上絵を見るために移動 
ナスカに着いたのは昼過ぎ 飛行機でナスカの地上絵を 見に行く事もできたが 
いかんせん天気は良いのだが もやがかかったような感じになっている なんでもこの時期は
朝のフライトが良いらしい と言う事で データーの処理 に明け暮れる フライトも2本決めた 
フライトの予約は 直接空港のオフィスに行くか 町の中にあるツアー会社を検討する方が良い 
ナスカに着いてすぐに数人の客引きが 来るがそれに着いて行くと10US$程高く取られたりする 
まー時間が無ければ仕方ないが... 水路に行くツアーに行く
日本の何処かにも同じような井戸があったな でもここのは 数が多いのと全部石でできてる 
まー無難な水路だ...その後は ナスカの地上絵を丘から眺められる場所に 
うーん 期待していたよりしょぼいぞ で遺跡に行き終了 次の日の朝早く 
ナスカのフライトに向かう 朝8時のフライトだったのだが 何だかグループが来て先に行かれた
まー仕方ない 結局飛べたのは9時過ぎ 飛行機は全部で6人乗り 玩具のような飛行機 
これがセスナと言うのだろう 
1本目は ビデオ撮影でナスカの全体像を捉える+写真をどのように撮影するか考える 
思ったよりナスカの地上絵は小さかった イメージがあまりにも大きすぎたのだろう 
撮影が意外に難しい事にも気付いた 地図をもらったのは良いがいまいち把握できなくて 
恐らくビデオ撮影は失敗に終わったと思う  30分程のフライトだが 結構短く感じる 
右往左往するので車酔いの激しい人は 酔い止めを飲む事を薦める 
フライト後すぐに 墓場へのツアーに参加 昔の人が作った 墓地を盗掘者が荒らし 
そこを整備した場所 10年程前は かなり 人骨や 布が散乱していたらしい が 今は 
通路まででき 観光地になっている まーでも通路が無いと
掘り返した穴を塞いでいるのが ただの藁のようなもんらしく 
何年か前に日本人が落ちて亡くなったとの話も聞いた で宿に帰る 
データー処理が追い付かない パソコンの調子も悪くなり 取り込めるが速度は激遅 
DVDが焼けない事も しばしば 泣きたい気持ちで一杯だったが 
ここでまだ帰るわけには行かない さらにショックな出来事が イースター島への
翌月のフライト状況をランチリのページで調べたら 何とファーストクラスしか残っていない 
値段は1300US$強 こんなの乗れるわけない 12月の予定を調べたら 意外に安い 
500US$弱 これなら乗れる しかし まだまだ 時間がある どうするか? 
徐々にブエノスアイレスからの帰国が有力になって来た 機材の破損 パソコンの破損
友人の結婚式 歯医者 免許更新 保険更新 自己回復 日本でやる事は多い... 
次の日 朝フライトへ 再び一時間程待たされ 同じパイロット アメリコさん 
この人がいい人で 撮影で来てると知ったら 日本語で地上絵を説明してくれた 
さらに 初日はパイロット隣で全景を 次の日はパイロットのすぐ後ろ(窓が広い 左側が見やすい)
で写真撮影をした方が良いと言い 席も確保してくれた この日はもやも少なく セ
スナの高度も低かった事もあり 結構写真がバリバリ撮れた 30分撮り続けたと言う感じだろうか 
まだ確認してないからなんとも言えないが 撮れたと言う自信がある
こういう時は大抵撮れてる で無事にナスカの地上絵も2回拝み 
その日の夜行でクスコに向かう バスは4800M程の峠を越えて行くが 
全く高山病など関係なく クスコに到着 
 
 
クスコ マチュピチュ 
クスコと次ぎに行く プーノは首閉め強盗で有名な場所  と言うのも 
道が細く入り組んでいるのと 宿が暗い路地にある事 雑踏が原因だろう 
相当警戒した 広場から宿までは走った が4000M弱の土地やはり息が切れるのは早い 
まーこれは仕方ないか クスコに到着してすぐに宿に行った訳だが 
そこでナスカで出会った日本人に出会い その人がもうすぐマチュピチュに行く と言う事で 
早速 宿に泊まってもいないのに 荷物を預け 出発 と言うのも 
マチュピチュの電車が 数週間前に 大雨の影響で土砂崩れ 切断されたらしい 
行ける時に行かなければ 行くチャンスが無くなる クスコで長居するつもりは
さらさらなかった 電車のチケットも一杯で取れない事も多々ある と言う事で 
違う経由でマチュピチュを目指す 普通はクスコから直でマチュピチュに電車で向かうのだが 
途中のオリャンタイタンボ と言う所まで遺跡を見ながらバスで行き
その後電車に乗ると言うもの 何せ オリャンタイタンボ発 マチュピチュ行きがあるから 
チケットを取れる確率も上がる でもチケットは クスコの電車オフィスで取得しよう 
オリャンタイタンボのオフィスは開いてない事が多いし かなり微妙な感じなので 
ぜひクスコで取得を 早速 装備を整え出発 まだ泊まってもいないのに荷物を置いてもらった
宿に着いて30分後にはもうバス停に向かっていた ローカルバスの旅は荷物が少ないと面白い 
いつもそうだが 常に自分のバックは 大丈夫かなど心配しなくてはいけないので 
結構気を使っているが 今回は デイパック一つなので気が楽だ フットワークもかなり軽い 
途中の小さな村で降りて 遺跡を見たり 食事をしたりのんびりと オリャンタイタンボまで到着
ここにも遺跡があるのだが ここの遺跡は 今までとちょっと違い(メキシコなどの遺跡) 
山を切り崩して作った様だ この辺りは 平地が少ない為 段々畑で作物を育てていたのだろう 
と容易に想像できる 石組みはインカの石組みだった 意外にも 
観光客(現地の修学旅行など多数)が多くて 驚いた きっとマチュピチュはもっと観光客も多いし
ここよりもすごい遺跡なんだろうと 胸をわくわくさせて 電車に乗り込むはずだった 
予定時刻20時になっても電車は来ない  皆もうすでに 乗り込む準備万端といった感じ 
30分待っても来なくて 挙句の果てに 本日電車は来ないとの事が発表され
じゃあ いつ乗れるのか と聞くと 明日の7時頃かな… と適当な答え 参ったが 
ここで朝を明かすわけにはいかないので 宿に泊まる 電車の乗客が 皆移動を始め 
安宿は一杯になっていく 急いで宿を探し何とか 安宿ゲット 無事に朝を明かせる事となった
で早朝 6時頃から 駅に行き 状況を見守る 丁度7時くらいになった頃 
チケットの交換(昨日のチケットを今日の特別者に変える) が始まり 難無く 
電車に乗り込めた しかも クラスが一つ上がり 快適な電車となった 結果オーライ
マチュピチュの前に アグアスカリエンテスと言う温泉街があり 
そこからバスでマチュピチュを目指す ゆっくり歩いても2時間程だそうだ
今は定かでは無いが ここが噂のグッバイボーイが現れる場所 道がクネクネしているので
ダイレクトに走って下るとバスよりも早く下れ同じ少年が 何度と無く現れると言うもの 
でもペルー政府が 勉強しなくなると言う理由で 一応廃止したらしい 結局見れなかった...
マチュピチュに着くと取り合えず チケットを買うのだが 
エクアドルとペルーでの国境でつかまされた偽札をここで試しに 札に紛れさせて
使ってみる さてどう出る 結果無事吸収され 30US$分の偽札のうち 15US$分を消費できた 
もう一枚は破けてしまって(本物は破けないと言うのを聞いて 試してたら 真っ二つになってしまった)
のでお土産になった でパスポートにマチュピチュスタンプを押してもらい 
いざ マチュピチュへ
ちょっと坂を上ると そこには 映像で何度も繰り返し見てきたあのマチュピチュが広がっていた 
しかもグアテマラの宿で聞いていた ちょっと広角気味にマチュピチュの写真を撮り 
横にしてみると インディアンの顔に見えると言うのも 確認 ただ 天気がいまいちだったのが 
悔いが残る でも話によると 昨日は一日中大雨だったらしい この日は曇り空と少々の晴れ間
この時期にしては良いほうだと言っていた 実際のところかなりマチュピチュを歩いたが 
遠景から見るマチュピチュが一番すごく見える 中に入ってしまうと 石組みは美しく 
インカの高度な技術は感じられるものの どこでも見れる石組みなので 
是非 段々畑の上と向かいのワイナピチュ からマチュピチュの全景を眺めることをお勧めする 
驚きは 映像で見すぎているせいか やはり少ないが
世界遺産人気NO.1を実際に見るのはいい気分だ 実物は写真に勝てないな とつくづく思う
 
その後結構な時間マチュピチュを見て 電車の時間に合わせて下る 
意外と時間があったので 温泉に30分程浸かり 再びオリャンタイタンボまで帰る 
その後もう一つの遺跡 ピサック町まで移動 到着したときにはとっくに日が暮れていた
翌朝 ピサックの遺跡に向けて出発 ここはローカルバスなどが無いので タウシーで行く 
ここは観光客も少なく(ほとんどいない) でここから遺跡を見ながら 
ピサックの町までトレッキング感覚で 下っていけるので かなり良い 
遺跡的にはマチュピチュのほうが 凄いかもしれないが ピサックもかなり良いので 
是非セットで行ってもらいたい場所だ  その後 クスコに戻り次の日にプーノに向かった
結局 クスコは1泊4日とわけのわからないことになったが 首締めにも会わず
無事に超えることができた 





プーノ チチカカ湖

プーノまでの電車は意外に高い バスのほうが早いし 安いが 

何と言っても世界最高標高の駅を通過する魅力で利用

しかも 意外にもエンターテイメントもあり かなり満足のいく 電車となった 

プーノにつく頃には日は暮れ ちょっと首締めを 恐れていた が何と 

目当ての宿の人が着ててしかも AKIRAと書いた紙を持っているではないか 

何故だ... 初めての町で こんな事があっていいはずが無い 

が実際自分を探していたのだ と言うのも クスコで出会った 

武坂夫妻がすでにバスで到着済み で

AKIRAという奴が電車で来ると伝えてくれていたのだ 助かる 夜中に 

こんな人ごみの中宿を探すのは心身ともに堪える 無事に宿に着き 

次の日の朝からの1泊2日 ティティカカ湖ツアーを申し込み 飯を食い 倒れるように寝る 

この頃から 気力だけで毎日動いているようなそんな感じになっていった 

朝ピックアップを受けて いざ船へ 天気はいまいちだが 天気を待っている暇は無い 

ウロス島 ここは初めて知った場所だったので かなり驚いた 

葦の草だけで浮かんでいる島 
葦を次から次に重ね 島を維持していると言う 

中心にある柱(水中を通過して地中まで刺さっている)を抜くと

島が動いてしまうらしい うーん凄いぞ 葦の茎のサービスもあり かなり満足のまま 

葦でできた船に強制的に乗らされ 次の島に 葦でできた島はかなり魅力的だった 

が実際自分が住んでいたらどんな気分なんだろうと 考えてしまう

その後アマンタニ島にホームステイ 夕方は4000Mの山に皆でトレッキング 

夜にはダンスパーティー でも自分はダンスが大の苦手 と言うよりできない 

ので少しだけ踊った やっぱり俺は映像班です...

あっという間に一泊二日のツアーは終わり 続いて次の日にコパカバーナへ(ボリビア突入) 

なぜか日本人だけパスポートのコピーが必要だと言う 意味のわから無い 

国境を越え 無事にコパカバーナへ しかし ここでは太陽の島と言うのがあるだけで 

まー見たかったが先を急ぎ ラパスまで行く事に 


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