中国 チベット

 

チベット... 旅人誰しもあこがれる場所

 空が青く 近く 4000mを越える台地 世界の屋根と呼ばれ 来る者を選ぶ

 そこは 選ばれた奴のみが行ける場所

とは 言うものの 果たして自分は選ばれた者なのかは不明

 しかし 今回は5分5分で帰ってこれない気がしていた...

 

 

違法ルート 高山病 交通手段 事故 紛争...

 死の要素は尽きない 恐れと肉体 恐怖と精神 葛藤した

 旅はだいぶ慣れた が自分が自然にどれだけ対応できるのか? 捕まって殺されてしまうのか?

 行けばわかるさ(BY 猪木)  行かなくてはわからない→行くしかない

 決意した が恐れは増すばかりであった(遺書 遺書テープ<120分テープに録音>を残す)

 学生で始めた旅 学生最後の旅 命を賭けてやってやろーと 死んでも悔いは無い(?)

 ルートは 中国北京→中国カシュガル(西の町)→チベット アリ→グゲ遺跡→カイラス→マナサロワール→ラサ

 →北京 (だいぶ大まかだが)

 チベットにバスはほとんど無い 輸送トラックのヒッチハイク(有料)以外方法が無い 予定は未定であった

 どの旅でもそうだ が どの旅でも予定どうりに事が運んでしまう なぜだ? 

 

強運だから

それしかない   事はすべて良い方に進んだ 何度も死を感じたが 助けられた 

 

 

空は近く 青かった ついでに空気は薄かった

 

 

 

〜中国〜

 中国と言えば... 何だろう? 中華料理 土地が広い 人口が多い

 そのくらいだろうか この旅は チベットを中心にしていたので あまり興味が無かった

 航空券が一番安い 北京に行きそこから 列車を使って 西まで行こう

 そこから違法でチベットに入ろう 位の移動の手段でしかなかった が行ってみると 結構面白い

 英語は全く持って通じない(通じる人もいるが ごく稀)漢字で筆談 漢字も略字でわからん

 文法は日本とは違う 困った 困った でも 今までの旅だって まともに会話できたのはわずかだ

 日本語しかわからない僕にとって どの国もたいした会話について違いは無かった

 雰囲気も アジアと言うこともあって どこか似ている ただ観光客と言うのはほとんどいない

 飯も漢字がわからなくて メンがメインだった もっと知っとくべきだった...といつも感じる

 僕は あまり調べることなく その土地に行ってしまう 知っていればもっと楽しいんだろうけど

 事前に調べる気にはあまりなれない性分なので 仕方ない 知らないは知らないなりに楽しいものだ 

 そんなわけで 旅のルートは良く変わる 面白いと聞いたら行く 予定はたいして無い

 わかることは その国のどこかにいる そのくらい(きっと両親は心配だろう)

 

 今回も電車の中で日本人(まさお)に会い 途中でタクラマカン砂漠を横断する 1本の道を発見

 僕もまさおもルートを変更して 砂漠横断を決める 

 

毎日が楽しい 生きている実感

 中国人は言葉の分からないのに やさしくしてくれる 反日感情があると思っていた僕は少し恥じた

 物事は たとえ多くの人が思っていても そう思っていない人もいる 

 皆が皆同じ考えではないので 当たり前だが ものの見方は十人十色だ

 もし その十人の考えができれば 物事が十色に見えるのだろう 知りたかった十色を

 でも 世界には60億を超える人口がいる 60億の見方をするのは絶対無理だ

 1秒に1人会ったって 60億秒必要 寝ないで会っても 70000日以上かかる

 70000日=200年弱 しかも その人の物の見方を知るには1秒ではわからない

 生きてるうちに 一体何色見えるのだろう?? 例え数色でもいいから 自分の知らない色を見たい

 

 中国の発展しているのはごく僅か 田舎に行けば広大な土地が広がっていた(どの国もそうか...) 

 思っていたより 楽しんだ

 

 

 

 

〜タクラマカン砂漠〜

 観光客もたいしていない 中国 列車の中で日本人に会う 

 それが 僕のルートを変えそいつのルートも変える

 

 

旅は道ずれ 世は情け

 そいつの名は まさお 同じ年で同じような生き方をしてきた

 話せば 話すほど 自分と会話してるのか??と思うほど馬があった

 列車の中で たわいも無い話が続く これからどうするか??となった時 互いに地図を広げる

 どちらかわからないが タクラマカン砂漠横断道路を発見 行くっきゃねー はじめまさおはためらったが

 男なら 行くっしょ の一言にやられたらしく 共に横断を決意

 タクラマカン砂漠は 中国の西部に位置しかなり大きい こんな体験めったにできねーと感じた

 移動は 寝台バス このときは一人一人に狭いベットがあり 楽だった 

 バスに乗っていた 現地の子供と遊びながら 夜は語りながら 歌いながら楽しく横断

 砂漠は僕らがイメージする砂漠だった インドに行った時も砂漠に行ったが そこは荒地 とか荒野

 と言う表現が当てはまるだろう タクラマカン砂漠はラクダが月の光に照らされて歩いてる

 イメージそのまま サラサラの砂が見渡す限り広がっている 砂の海だ!!

 なぜか 色は少なく 薄く 太陽すら白い 見る物すべてが殺風景だ 見たことの無い世界

 オアシスと言えば 水が湧き出ていて 緑が広がっていて... ぜんぜん違う 僅かな建物に

 チョロッと水が出る水道 あとは砂しかない 歩いたら間違えなく逝くな と思った

 

 

予定は無い あるのは行動だ

 

 

 

 

 

〜チベットへ〜

 

チベットへの道... 長く 険しく 想像もつかない世界へと

 違法旅行の始まりだ 何処でどうなっても 文句は言えない 事故れば行方不明

 ここまで来て行かねば男がすたる 行こう

 バスは無い あるのは輸送トラックのみ 言葉は通じない どうする どうにかなるのか?

 生きるのか? 死ぬのか? 葛藤が尽きない

 旅行人チベットを参考に ヒッチハイク開始 どれだけのトラックにあたっても連れて行ってくれそうに無い

 途中で警察に捕まれば その運転手のライセンスも取られてしまう 生活の1部を壊すわけにはいかない

 探していると 怪しいサングラスをかけた男 アリ(行かなくてはいけない町)に行きたいのか?片言の英語だ

 そうだ 連れてってくれるのか? YES!! いくらだ?? 700元(10000円位) 高い

 どれだけ交渉しても下がらない しかもそのまま警察に連れて行かれたという噂もあった

 どうする? これしかないのか? 本当にいけるのか? しかし頼るのはそのオヤジだけだった

 連れて行ってくれ!! YES  賭けだった 

 次の日 車に乗り込む 乗客は 日本人2人(まさおさん<砂漠横断のまさおではない>)ベルギー人2人

 中国人1人 あとは 訳のわからない奴4人 車は一杯だった 

 命を賭けた旅が始まった 鼓動は早く強くテンポを打つ 今までに無いビートだ

 この ルートはなぜ違法か それは チベットは外人が入れる 開放区 入っていけない 非解開放区にわかれる

 ほとんどが 非開放区 そこを無理矢理に突っ込むのだ そして アリという町に行き 逮捕される

 罰金と書類で パーミット(許可証)がもらえるシステム なんだかとっても訳がわからないがそういう事なのだ

 アリに着かなくては話にならない 途中で捕まればそこまで どうなるものやら...

 検問は2箇所 道は1本 どう回避するのか?疑問だった 答えは簡単 道なき道を行く だ

 訳のわからん 村を通り 地図だったらただの砂漠をひたすら突っ走る 検問を過ぎたら出てくる

 そのあとは 走ればいい それだけだった 途中 川は渡るは 砂漠は走るは 道は細く落ちそうになるはで

 怖かったが それより 高山病が怖かった 引き返すわけにはいかない ただ前進あるのみ

 1日目は3000M に泊まる これくらいは何とかなる 2日目は 5000Mの高原を走る 無理だった

 体はついてこなかった 酸素は薄くなり地上の2分の1に 頭はぼーっとしてくる

 休憩で外に出て歩けば フラフラ 熱も出た 死ぬのか?このまま意識がなくなるのか?不安とはよそに 

 眠りに入る 景色なんて見てられない 寝るしかない 休憩で外にカメラだ 撮るしかない...

 あまり覚えていないが 写真は残っていた  飯は食えない 水も飲む気がおきない 重症

 周りは心配してくれたが そんなことと関係なく チベットの洗礼を受ける 来る者を拒むのか?

 負けられなかった 今までの自分に笑われたくなかった 意識はとおのく... 4500Mに泊まる

 山小屋に着いた僕は フラフラで 泥酔した人間のようだった 変わらず飯は食えない

 心配した 訳のわからない奴4人の1人がアスピリンを2本くれる ビンを割り気をつけて飲めジェスチャー

 飲むと体は熱くなり すぐに寝た

 3日目 治る気配は無い 熱も出た トイレ(広大な荒野)に行って尿を...

   出ねー こんなに膀胱破裂寸前なのに 何分 何回粘っても出ない 破裂するなこりゃ

 ビビリながら 車に乗る 10分もしただろうか ストップ ストップ 叫ぶ 膀胱リミット

 外に出て 尿を出す 出た 出た これでもかーっー位 快感だこの上ない快感

 当たり前が 当たり前でなくなり 当たり前に戻った瞬間 涙が出た

 さらに10分後 腹がいて− ストップ ストップ また叫ぶ 外に出て 野グソ

 体調は見る見るうちに 回復ただ 解熱剤のおかげなのか 順応したのか 嘘のように元気に...

 夜 街の明かりが見えた アリ?アリ? そうだのリアクション 着いた 着いた

 感動この上ない 1発で着いてしまった 怪しいオヤジに金を払い 最高のお辞儀を握手を

 あれだけ恐れていたことが 終わった ありがとう 助けてくれたみんな 

 

 

俺は1人じゃない 人あっての俺だ

 無事アリに着いた  

 

 

 

 

 〜高山病〜

 チベットへ でかいたんだけど大変なことだった

 何でも何とかなるさ の僕は高山病をもろにくらった 

 しかし実際はなんとかなってしまったのだが...

 高山病は老若男女問わず かかる人もいれば かからない人もいる

 1度行ったから2度目は平気と言うことも無い 

 肺気腫(ハイに水が溜まる) 脳気腫(脳に水が溜まる)発熱 下痢 食欲不振 頭痛

 その他 まだまだあるらしいが 最悪 死 が待っている 対策は 水を沢山飲む

 尿を沢山出す(新陳代謝をあげる) ダイナモクス(薬)を飲む 下山して順応させる

 それくらいだろうか 何と言っても 5000Mを超えると酸素濃度が地上の3分の1に

 3000Mでも2分の1になると言う のだから症状が出てもおかしくない

 漫画ゴルゴ13でチベットに行くことがある 持ち物はニンニク ビタミン剤 ライフル

 であったらしい ニンニクは新陳代謝を上げる 生で食ったらいきなり異が熱くなって

 気持ち悪くなった が効いたのだろう(?)まーよしとするか

 1年に数人は死ぬと言う高山病 お気を付けあれ(気をつけようが無いが)

 

 

 

 

 〜逮捕〜

 逮捕されて成り立つ合法ルート 逮捕されに行く場所 アリ

 意味の分からない人も多いだろうが これがこの旅の面白い所である

逮捕は簡単で 警察に行ってごめんなさいって言って 罰金を払うそれで 許可証がもらえる

合法ルートに変わる 非合法ルートが作る合法ルートって言う感じである

ただ最新情報によると2002 9.11以来これが出来なくなったと言う噂も 行く人は要チェック

これで前科がついて海外にもう行けないと思う人も居るだろう が  2003年にカナダ無事入国により これは平気だと言う事が分かった

逮捕と聞くとヤバいんじゃないと言うが 日本の白バイに捕まる方がもっとヤバい それくらいに考えてほしい

 

 

 

 

 〜ヒッチハイク〜

 一体何回のヒッチハイクをしただろう? 人々の足は輸送トラックだ

 バスが無い 西チベット 電車も無い 壊れない言葉の壁 困った ひたすら行きたい地名を連呼

 値段は紙に書いて 交渉 運がよければすぐにつかまり 悪ければずーっと待つ 気長な作業

 予定は立たない トラックの荷台は 風が入ってきてやたらと寒い 凍えた

 でもあのトラックから見た景色は最高だ 訳のわからぬ土地で止まり 飯を食う 人に出会う

 行き当たりばったり なるようになれだ こんな僕の性格にはぴったりだ

 永遠続くひたすらな道を 故障しながら 進む 結構贅沢な楽しみかもしれない

 ある場所では 英語を話せる人にあって 宗教について熱く語った 

 ある場所では カワイイ子の写真を撮った

 ある場所では チベット人のカイラスツアーに混ざった

 ある場所では 飯を食わしてもらった

 ある場所では ...  様々な出来事が起きた

 

 

ヒッチハイクは楽しい

 

 

 

 

〜グゲ遺跡〜

 グゲ王国の遺跡 1960年まで宗教上の中心として機能していた

 ここには グゲ様式の壁画が残る仏教芸術史上 貴重な場所である

 現実離れした外観には 宇宙を感じさせられる

 ツヮンダと言う町から20キロくらい行ったところにある遺跡で町からは歩きかヒッチしかなかった

 ヒッチは期待できなかったので 歩いていくことに 朝7時に出発 ちょっと歩くとそこは ドラゴンボール  の世界

 荒地と言うのか 荒野と言うのか 砂と岩とでできた台地 スケールのでかさに驚き

 ひたすら 前進 3時間くらい立ったろうか まだか まだか...止まれば死 歩いた 音が聞こえてきた

 文明の力のエンジン音 トラックだ 走って道に出る 止まれ のジェスチャー 乗っけてのジェスチャー

 無料で乗っけてくれた あっという間に 遺跡まで2キロの小さな村につく 今日18時にツヮンダに戻る

 良かったら乗っていくか? 中国語だ漢人だった 思っても無いチャンス 是非乗っけてクレー

 そう言って 荷物を置かせてもらい カメラと水筒だけもって出発 村の少年と出会う 遺跡何処??

 ついて来いジェスチャー 道無き道を進む 砂山を上る あれかー 山の上に小さな山があり 周りに何も無い

 その スケールには驚くばかり チベットに来て驚きは日常茶飯事 何もかも新鮮そのもの 脳に焼き付いていく

 その外観はチベットのイメージそのままだった 美しい

 中に入るのには金がかかるが入る 一つ一つ 鍵がかかっていて 開けてくれる 中には破壊された仏像

 壁画 がある かつて栄えたグゲ王国が蘇る 中国政府はチベットを破壊していった なぜだ?

 文化が違ったって いいじゃないか 思考が違ったっていいじゃないか 破壊する事は無い...

 切なくなりながら 遺跡を見た 頂上に上って辺りを見ると360度ドラゴンボールの土地が広がっていた

 

 遺跡は過去の財産だ

 

 

 

 

〜カイラス〜

 

その名はカイラス, カンリンポチェ

 この山は、チベット仏教 ヒンドー教 ジャイナ教 ボン教の最高の聖地である

 チベット仏教にとってここは、宇宙観がそのまま 地上に現れた曼荼羅であり 山はブッダであり

 周囲の山々は菩薩や神々である。カンリンポチェ(尊い雪山)と呼ばれている

 巡礼路52キロ 最高巡礼路標高5700メートル 遠くは はるか下流のガンジスにつながる   

 違法ルートに挑んだのもこの山が見たかったから といっても過言でない

 山の周りは巡礼路になっていて歩きでしか回ることができない 僕は歩くことにした

 52キロあるので2泊3日を予定 荷物を持って タルチェンと言う町から出発 

 タルチェンの標高も4500Mなので 結構ビビル が最高5700Mまで行く一体どうなる事か

 巡礼者はほとんどいない 周りを見渡せば あるのは自然(荒地)あまりにも近い空 薄い空気

 歌いながら 叫びながら 自分と言う存在を感じながら歩く 荷物は重い 1時間に1回休んで...

 ひたすら歩く 道は長い 標高は高い 途中チベットの巡礼者4人に出会う 一緒に行くことに

 が ペースはやたらと速い 荷物はやたら少ない 自分の荷物の重さを悔いる

 現地の人は 巡礼が当たり前であり ハイキング気分なのだろう ついていけなかった

 追っても追っても 後姿は小さくなっていった 休憩中にやっと会える 会話が始まる(?)

 持ってきたガイドブックは役に立つ 写真は興味を示した うなづくことしかできないが

 何か伝わっているようだ 荷物持ってやるよ のジェスチャー ありがてー フィルムを欲しがっていたので

 あげた 荷物が無くなれば 付いていける それでもやっとだ

   なんて自分は無力で非力なんだと涙が出そうだった 自分を恥じた

 1日目の宿(テント)に着く なぜか無料で お茶など飲ませてもらった 体調は悪い 高山病か?

 疲れか フラフラ しかし 目の前には雄大にそびえる山があった これでもかっーくらい でかく

 勇ましく やさしく 雄大 すげー しか言えない自分がいた 一杯一杯の体を動かし写真を撮る

 すげー すげー なんだよこれ  天気はすぐに変わりひょうが降ってきた テントに待機

 急に眠気が もう駄目だ 寝るよ 寝た 朝起きるとすでに4人は出発 ありがとうも言えなかった

 また 1人で歩き出す 2日目は5700Mの峠越えだ 体はだるく重かった 行かなければ...

 急に道は険しくなる 10M歩いては休み 5M歩いては休み ついに動けなくなった 

 ひょうが降り始める 荷物捨てるか? それはできねー そんなこと言ったら 死ぬ いや捨てられねー

 動けず ひたすら だるく こりゃ死ぬな... どれくらい立ったろうか 後ろから2人歩いてきた

 坊さんだ 多分 笑って過ぎていくさ と思ったら 立ち止まって どうした??平気か?のジェスチャー

 駄目だのジェスチャー 荷物を持ってやるから 共に行こう のジェスチャー すでに荷物が無くても

 立つのがやっと ラマ(偉い坊さん)は僕の手を引いてくれた 修行僧は荷物を持ってくれた

 歩こう 行くしかない 気合か何かわからないが 歩いた 標高は上がる ラマも微妙に辛そうだ

 修行僧は...何でそんなに元気なんだ? 笑う気力も無かったが 心が笑った

 寒さにやられていた 僕に服を拾ってきてくれる(巡礼者が残していった物)

 何で見知らぬ 訳のわからないこんな俺の為に ここまでしてくれる? なんでだ?

 泣きたいが 涙も出ない 意識はどこか遠くに行っていた 記憶もあまりはっきりしていない

 覚えているのは ラマと修行僧がいてくれたこと それくらいか

 何とか 5700Mの峠を越える これ以上辛くなることは無い そう思うと気が楽だった

 途中巡礼者が坊さんの周りに集まる そんなに偉い人なのか?とビビッてしまった

 飯を食うときは ただで食わしてくれた 坊さんパワー炸裂 飯を食うと寝てしまった

 起こされて出発 今度は自分で荷物を持つ やっぱり重い 意識はだいぶ回復 当然ついていけない

 1人で歩き出す 自然は美しかった 人はやさしかった 宿を発見 すぐに寝る

 3日目 残りあとわずか 5時から歩き出す 体調はだいぶ良くなった ひたすら進む

 目の前に町が見える タルチェンだ WO- 生きてるぞ 帰ってきたぞ 叫んだ

 町につくとなんとも言えない感情が湧く もしあの時あの場所で あの人に出会っていなければ

 死んでたな どんな力かわからないけど 僕を生かした いまここで呼吸をしてる

 生きてることが どれだけ美しいか すばらしいか 身を持って感じる と共に 自分の非力さを

 何にしても 52k歩いた すべての事は 良い方向に運んだ

 ありがとう 4人組み ラマ 修行僧 あなた方は命の恩人です

 

 

生きているって すごい もっと生きていることを感じよう

 

 

 

 

〜マナサロワール〜

  マナサロワール 別名マパムユムッォ(マパムは征服されないの意味)湖

 カイラスと共に聖地の1つ カイラスから40キロ〜50キロに位置する

 ヒッチハイクしようとしたが トラックは何時間経ってもこないならば歩いてやろう

 カイラスを歩けたなら行ける 重い体を引きずり歩き出す 大地は永遠続く

 1歩1歩踏みしめながら 高山病も恐れることが無い 4500Mでは平気になっていた

 途中川があり 渡る水は雪解け 冷たい 靴を脱ぐと足が紫色になっていた

 やべーなー ひたすら歩く 水も減ってきた 食料は無い 歩いても歩いても つかない

 方向を間違えれば本当に終わりだ トラックはいつ通るかわからない 

 太陽は容赦なく僕を照らす 隠れる場所なんて何処にも無い 叫ぶ 笑う 歌う

 なんだよこれは 本当に死ぬぞ せっかくカイラス生き抜いたのに ここで終わりかよ

 と愚痴をこぼしながら 笑っている自分に気づく 1時間歩いては休み また1時間歩いては休み

 平均1時間で4キロ 30キロっていう事は 8時間くらいだな もう結構歩いただろ...

 時計はむなしく4〜5時間を指していた くそー 何処まで歩けばつくんだ??

 それから数時間歩いたその時 僅かなエンジン音 もしや... その音は妙に遅く迫ってくる

 見えた トラクターだった あの農作業に使う奴 乗せてクレー オヤジは笑った 左手で5のジェスチャー

 5元だ 金じゃないんだ 今俺に必要なのはこれに乗ることだ すぐに乗り込む 荷物沢山 人6人 羊6頭

 日本だったらな違えなく 捕まるなこりゃ 周りはチベット人5人 陽気な人たちだった トラクターは

 弱弱しい音と共に時速4キロくらいでゆっくり進む 人と同じ速さだ けどこれほど快適な事はなかった

 ゆっくり だがチベットの空気を全身に感じた これくらいのスピードが丁度いい 心地よかった

 マナサロワールまで17キロ位で方向が違うので降りた テント発見 突入 物が売っていた

 ジュウスを飲む体に染み渡る 細胞が蘇るのがわかる また生き延びた

 そこのおじさん おばさんはとてもいい人で 肉を食わしてくれた タバコもくれた

 ここは商店ではないのか? なぜなんだ?どこに行っても皆やさしい 人間らしい人間だった

 1泊そこに泊まり 次の日荷物を置いて マナサロワールを目指す 草原のような相変わらず

 何も無い土地を 誰もいない土地を 荷物がないとどんなに長くたってへっちゃらさー 景色は美しい

 空気はうまい やっと体で物を感じれるようになった 体調はまあまあだった 湖に着き 目的の寺に...

 と思って 写真を撮っているその時 ナマステ 振り返るとサドー(インドの修行僧)

 サドーは 気配を感じさせず 後ろにいた ビビッタ 何でも英語が通じるので話は何とかなる

 サドーは洞穴に12年住んでいるという 面白そうだ 泊めてくれ OK!! 洞穴は湖を一望できた

 いろんな話をした カレーを作ってくれたがあまりにも食っていなかったのと 辛すぎて残してしまった

 すみません 湖は1周100キロ近くあり周るのはビザの関係でムリだった 

 洞穴は 小さく2人は入れなかったので 入り口に寝る こういうときに限って荷物が無い なんでだ?

 サドーは毛布を貸してくれた それでも寒いので 板を上に載せた これで何とか... 寒い

 夜の空は美しい 寝れずに眺めていた 朝5時頃ウッツラウッツラしながら 出発 

 昼には テントに戻ってこれた 羊を解体していて 食っていけジェスチャー 新鮮そのものの羊はうまい

 おじさんに トラックはあるか?と聞くと無い という そーかー 明日だな と思ってくつろいだ

 夕方になり おじさんが アリ行きのトラックあるぞー と走って帰ってきた すぐに乗り込む

 わざわざ 近くに行って調べてくれたのだ 人ってこんなにやさしくなれるのか? 赤の他人 外国人の俺に

 やさしすぎる 人っていいものだ 自分もやさしくしてもらった分 他の人に返していきたいと思います

 おじさん おばさん サドー ありがとう おじさんは最後にタバコをくれた 本当ありがとう

 トラックは 僕が歩いた道を猛スピードで駆け抜ける カイラスを臨みながら 涙が出た 今まで出なかった涙が

 文明の力はすごい しかしその文明の力が人々を変えていった 日本のように どうか 人間らしい人間で

 例え 文明の力が入ってきても そのやさしさは失わないで... 僕も心が浄化された 

 

 

人はやさしい 人はやさしくなれる 人間らしい人間に...

 

 

 

 

〜ラサ〜

 アリに戻り ビザの延長1ヶ月 戻ってこれた喜びと 疲れで 倒れこむように宿に行く

 なんと相部屋には マナサロワールですれ違った日本人(こうじさん ゆうこさん)がいた

 日本語しか喋れない僕にとって 会話できる喜びはこの上なかった この2週間位 日本語で

 会話しなかった シャワーにも浴びなかった 来た時よりもアリが都会に思えた

 2週間ぶりのシャワーは 泥となって流れ落ちた 体調は万全 

 アリからラサまでヒッチで行こうと思っていたが バスを発見 1週間を予想していたが 

 3日で走破してくれるという これはうれしい ちょっと高いが(1万円くらい)寝台なので楽だ

 迷わずチケットを買う 出発までの2日 DZI STONE(ジーストーン)チベットの宝だ について

 こうじさんから聞き買う ゆうこさんは インド料理を作ってくれた まさおさんとも再会

 バスは 時間ぴったりに出発 こうじさん ゆうこさんが見送りに来てくれた

 ひたすら 荒地を進む 隣は漢人の学生でタバコや飯を分けてくれる いいやつだ 会話できないけれど

 3日かかってラサに着く 都会だったその時の僕には東京に帰ってきたと思える位 不安は消えた

 普通はラサについて高山病を気にするが 3800M位の土地で僕はやたらと元気だった

 酒は飲む タバコの本数は増える 東京と何も変わらなかった ただ 風景はやはりチベット

 毎日 散歩 散歩 写真を撮ったり 土産を見たり シャワーは無料だし 快適そのもの

 同じチベットでもこうも違うとは思わなかった 21歳の誕生日もラサで迎えた

 のんびりすごした 鳥葬ツアーにも行ったが 見れなかった

 始めは快適でよかったが 何か違う 毎日これでいいのか?と思う自分がいた

 写真は結構撮れた ただ エキサイティングではない 西が恋しい

 10日位して ラサを後にした

 中国北京まで 鳥葬ツアーが一緒だった あゆむ ひろしと共に行く

 

 都会は僕をのんびりさせる だんだん駄目になる そんな気がする

 

 

 

 

〜食事〜

   中国では移動が多かったため たいした物は食ってないたまに 中華料理を(安くてうまい)

 西チベットでは 食えるときに飯を 食えないときは水で やっぱりたいした物は食ってない

 ラサに来て うまい中国料理 チベット料理を食う チベット料理といえば...

 モモ肉(まんみたいの)トゥクパ(メン) あとミルクティーどれもうまい

 ラサで食った チャーハンがやたらとうまくて 合計8回くらい食った

 この 旅は あまり食ったと言う気がしない...

 

 

 

 

 

〜宿〜

 

中国は 移動中 電車 バスの中 あとは安宿(500円くらい)

 チベットは 山小屋に泊まったり 宿に泊まったり サドーと共に野宿したり

 西は観光客がいないので 自分の時間が多かった(大抵高山病のせいか寝てた)

 ラサはやたらと観光客が多くて いつも通り 出会いの場となった

 旅は 毎日 引越ししているようなものだ 物はバック1個に詰まる 何も無い方が気が楽だ

 日本の生活では物があふれ 情報があふれる 僕には処理しきれない 

 

 

いつでも引越しできる 荷物を持とう

    今いる所が 自分にとって最高の場所かどうかはまだわからない....

 

 

 

 

〜旅人達〜

 電車の中で中国語を習った けんさん けいこさん

 タクラマカン砂漠横断 本当似ているよ 長い付き合いになりそうだ まさお

 北京で再会ならず けいこちゃん

 まさおと共に ビールで乾杯 れいこさん

 違法ルートで共に ラサで再会 まさおさん

 タフで坊主な 五郎さん

 タフな旅人 けんさん のぶさん

 知識 料理ありがとうございました 本当タフ こうじさん ゆうこさん

 鳥葬ツアーみれなかったね さえ ももよさん まどかさん 森田さん

 ラサから北京まで 鳥葬ツアーお疲れ ラガーマンひろし ビックマウスあゆむ

 のんびり フリーター やっちゃん

 1回目の旅で会ってますよねー 文太さん ちささん

 情報無くてアリへ すげ−楽観的フランス人 日本にも来ました マーク

 本当チベットでは多くのチベット人に助けられた もし会っていなければ命は無かっただろう

 出会いはすばらしい ありがとう 出会ったみんな

 

 

 

 

〜死とは...〜

 死 という言葉をよく考える 生きると言う言葉をよく考える

 死を覚悟して行ったチベットはその事を強く感じさせた あの時あの場所で...

 今まで もう相当死にかけている バイク事故 川に流された 高山病 喘息 病気...

 もう死んでいるのかもしれない 何処からが死で 何処からが生きていると言えるのか?

 

 

今生きている事を実感してますか

 当たり前の生活で 今自分が生きていることを意識する事はほとんど無い 生きている喜び 悲しみ

 死にかけて初めてわかる この瞬間自分という個が存在する 呼吸するのは当たり前?

 見えるのは当たり前? 食えるのは当たり前? 聞こえるのは当たり前? 歩くことは当たり前?

 失って始めて気づくのかもしれない でも その気づいた時はすでに手遅れだ 

 そのためにも いつ何を失ってもいいようにしよう 失う前にやっておけばいい

 そしたら 生命を失う時にも笑って死ねる 後悔が無いのなら やりたい事を満足するまでやっておけば

 でも 人間は欲深き生命体 1つを得れば次を望む 1生満足なんてしないかも知れない

 今やれる事をやっているのと ただ毎日生きているのでは 同じ時間でも意味が違う

 あるたとえ話がある

 1日 必ず0時に86400円振り込まれる 24時間経つと0円に戻りまた86400円振り込まれる口座がある

 その口座の使い方は 下ろして使うか そのままにするか 他の銀行に入れる事はできない

 下ろして使っても 次の日にはまた振り込まれる 使わなくても振り込まれる MAX86400円の口座

 あなたなら どう使いますか??

 86400円=86400秒=24時間=1日

 誰にでも平等に与えられるもの あとはあなた次第です TIME IS MONEY という言葉 そう思う

 日本人の平均寿命は80歳くらいであろうか?? 80年=29200日=700800時間

 今日もその1時間1時間を費やしている 思っているより人生は短く すぐに年をとる

 そのうち そのうち といってる間にも時は流れる 

 

 生まれた時点で死への秒読みは始まっている

 今を生きなければ いつ生きるんだ これを読んでいる間にも死は刻々と近づいている

 でも死を恐れる事は無い 恐れていたら何もできないから

 天才たちは良く 早死にする もし もしだ 人にローソクが平等に与えられていたら

 勢い良く燃えていたのだろう そう考えるなら どっちが良いか?? 勢い良く燃え早く散るか

 少しづつ燃えて 長く行くか 僕は迷わず 早く燃える 勢い良く燃えていたら周りを照らすことができる

 もしかしたら 人に道を示してやることができるかもしれない それに輝けば輝くほど人の心に残る

 まー どうなるかわからないけど 死ぬ時に笑って死にたい 良くやったよと言いながら

 後悔は先に立たない 後で悔いると書くように ならば 先に何ができる??今何ができる?

 

 

楽しく生きて 楽しく死のう!! 人生楽しんだ者勝ちだ

 

 

 

 

〜チベットと言う国〜

 チベットは現在 中国に支配されている 

 国としてでは無く 自治区として認められている

 現在 ゴルムドからラサにかけて鉄道建設が進んでおり2008年のオリンピックまでに

 完成すると中国政府は言っているようだ 鉄道は大量輸送機関であり バスしかない

 現在ですら ラサに漢人があふれている すでに都会になっている 少しづつ少しづつ

 チベット文化は失われていく 鉄道ができればその勢いは増し いつの日か消えてしまうかもしれない

 自分の国が 人の国に支配されると言うのは気分がよいものではない 日本で言ったら

 京都 奈良が破壊されて違う建物が建つ感覚だろう 過去の遺産を壊してまで 都会にしたいのか?

 その疑問は尽きない その影では国家規模の戦略が隠されているに違いない

 日本でもチベット解放運動が行われている 何処の土地でもそうだが 原住民を追い出し

 利益の為に開発する これは食い止めることができないのか?

 このままでは いつの日か金がある奴だけの世界になってしまうだろう